長尾藩士-墓碑から-  

表紙

 安房にとどまった旧藩士たちは、八幡地区の旧藩士共同墓地を中心に萱野の共同墓地、千倉の西養寺などに眠っていますが、著名藩士のほか、地元の教育に貢献した人たちも多くいます。そのなかから墓碑、記念碑などから知ることのできる藩士について紹介します。これらの人々のほかにも、地元に貢献した人は多くいます。また画家の藤田嗣治や、歯車の研究で著名な工学博士の成瀬政男も旧藩士の子孫です。

熊沢薫
八幡共同墓地

日知館の創始者のひとり熊沢惟興の子。藩の勘定奉行をつとめた。猶龍と号し、書道師範として小野鵞堂を育てた。また武田流弓術の師範をもつとめ、文武両道に秀れていた。明治9年死去、46才。

小沢直治
不動院

日知館の算学師範。明治3年長尾城地分見縮図の作者。廃藩後、藩の漢学師範であった奥田竜湫とともに私塾を開いた。学制発布後明治6年に北条小学校の教師となる。明治10年死去、52才。

石神直喜
萱野共同墓地

明治11年千葉師範学校を卒業し、多田良小学校をはじめとして、竹原小学校・瀬戸小学校で教員をつとめた。しかし明治16年肺を病んで27才の若さで死去した。

小沢直光
八幡共同墓地

直治の子。廃藩後木更津県に出仕し、のち山武郡、また安房四郡の書記となる。明治25年天津町長となり、32年の大津波の被害をうけたとき復旧に努めた。その年復旧のさなか48才で死去。

恩田城山
杖珠院

恩田仰岳の子。城山と号す、兵学師範、また西洋砲術の教授もした。明治6年白浜小学校の教師となり26年北条に開設された私塾日知学舎に招かれて、門人の指導にあたった。大正8年死去、82才。

小野鵞堂
鶴谷八幡神社

剣術師範小野成命の子。書家として名をなした。女子学習院教授として上流社会の子女教育につくした。また斯華会を創立し、全国の門弟に通信教授を行なった。大正11年死去、61才。