6 阿弥陀三尊像(善光寺式) 3軀 

表紙

 信濃・善光寺の秘仏、阿弥陀三尊像は、藤原末から鎌倉時代にかけて全国的に盛んに模作がつくられました。それらの作例から類推して、その原形が法隆寺献納宝物のなかの一光三尊仏像のようなものではないかということが言われています。

 そもそも善光寺式三尊の信仰は、秘仏として安置されている像が、我国への仏教伝来時に百済聖明王が欽明天皇に献じた長さ一尺五寸の阿弥陀、長さ一尺の観音・勢至像の一仏二菩薩像で、蘇我・物部の争いによって難波の堀に捨てられ、それを信濃の住人本田善光{ほんだぜんこう}が拾って草庵をつくり、長野善光寺の初めとしたということと、その像が釈尊在世時天竺の月蓋長者の門の敷居に、一ちゃく手半に身をちぢめて出現した姿を金銅で鋳写したもので、釈尊の死後、百済国に飛来し、さらに一千余年を経て日本に浮かび来った、いわゆる「三国伝来」の尊像だというところにあります。

 この金剛勝寺の三尊像は、県内の善光寺式三尊のなかでも大きなクラスに入り、像容も形式化がすくなく、作期ものぼる作品と考えられます。特に、背中の上下二つの柄は大ぶりで、上代の小金銅仏のそれとの近似を感じさせ、白鳳仏を思わせる面相と合わせて、興味深い作品ということができます。

阿弥陀三尊像
銅造 (阿弥陀像49.3 観音像44.5 勢至像44.5)
鎌倉時代
山武町・金剛勝寺