10 兜跋毘沙門天像(懸仏) 1軀 

表紙

 仏法を守護する四天王の一つで、毘沙門天(多聞{たもん}天)の一種です。兜跋(都鉢、屠半などとも書く)の語の由来には定説がありませんが、西域起源とみられる異形の毘沙門天像を指し、独尊として信仰されます。金鎖甲ないし、毘沙門亀甲{きっこう}の鎧{よろい}と海老籠手{えびごて}を着け、宝冠を戴き、左手に宝塔を捧げ、右手に戟{げき}を持ち、地天(女神)の両掌上に立つ、きわめて異国風な顔貌・服飾の像で、敦煌{とんこう}画に幾つかの遺品がみられます。日本では教王護国寺像と、これを模したグループ、地天の上に通例の毘沙門天像が立つかたちのグループの2つがあり、当像は後者の様式です。

 教王護国寺に伝わる像は、9世紀の末、都が今の京都平安京に移り、中国の長安にならって都市としての形が整うと、かつて唐の城が攻められた時に楼上に毘沙門天が出現して敵を破った故事にならい、中国から舶載した当兜跋毘沙門天を羅城門の楼上に安置したとされ、弘仁7年(817年)の大風で倒れた羅城門より移されたものとされます。日本には、このほか東北に何体かの像がみられ、古代の東北経営にこの兜跋毘沙門天像が一役かったことがうかがわれます。

 県内には当像の他には例がなく、しかも垂迹美術としての懸仏として制作された作品は、他に知られておらず、非常に貴重です。

兜跋毘沙門天像
銅造 (総高14.0)
鎌倉末~南北朝時代
白浜町・下立松原神社