12 三彩宝珠鈕蓋(峰岡出土) 1口 

表紙

 昭和45年に鴨川市嶺岡の林道開削のさい、七鈴鏡や「長者」銘の陰刻された須恵器片などと一緒に出土した奈良三彩で、出土状況などから火葬墳墓の跡ではないかと推定されていますが定説はありません。

 三彩は中国唐代に盛んに焼成されましたが、わが国では奈良時代に焼かれ、正倉院に伝世の遺品を見ることが出来るほか、各地から出土しています。

 県内からは、印旛郡栄町向台遺跡から唐三彩の陶枕が出土しているほか、数ヵ所から奈良三彩の出土をみています。館山市の安房国分寺からも、唐三彩の可能性を持つ三彩獣脚が出土しています。

 唐三彩は、主に長安・洛陽{らくよう}の貴族たちの葬礼のために作られ、墓陵に副葬されました。陶質の素地に化粧掛けした上に、緑・褐・黄・白の鉛釉{えんゆう}で華やかに彩り、またコバルトの藍釉を加えたものもあります。唐三彩は、安禄山の乱(756年)ののちは作られなくなりましたが、その影響によって渤海三彩、遼三彩、宋三彩や日本の奈良三彩などが生まれたのです。

三彩宝珠鈕蓋
土製陶器 (口径13.65)
奈良時代
国立歴史民俗博物館保管