16 十二因縁論 1巻 

表紙

 この経文は、奈良時代に一切経のうちの一巻として、南都のいずれかの寺院(「伝法塔印」の印が裏面にある)で書写されたものと考えられます。

 黄麻紙に墨界を引き、一行十七字あてで書写され本文は首尾完備していますが、奥書きはありません。

 一切経の書写は官営写経所を中心に、一セット五千巻として20種類は書写されたろうとされ、少なくとも10万巻はつくられたものと推定されています。こうした盛んな写経事業は、官営の造東大寺司を組織して、国銅を尽くして大仏を鋳造した奈良朝の仏教に対する湧き立つような情熱を反映しているものと考えられますし、難解なこの十二因縁論のような経典を受け入れようとした質の高い天平文化を再認識させられます。

 この大厳院の経文には、奥付けに養鸕徹定の注釈があり「伝法塔印」を西大寺の法塔院と解釈しています。徹定(1814年~1891年)は明治時代前期の浄土宗の僧で、明治18年には浄土宗管長になっています。仏教考証史家として古籍を探索し、多くの著書を残し上代の仏典を収集しました。

 なお漢訳の一切経(大蔵経)はインドの原典(サンスクリット語や俗語で書かれたもの)から翻訳されたもので、仏典の漢訳は後漢時代に始まり、元代まで千余年間行われたとされます。

十二因縁論
紙本墨書 (220)
奈良時代
館山市・大厳院