【1】-1 里見氏の系譜と北条氏の系譜  

表紙

 15世紀中頃に関東足利氏をめぐって連続して勃発した騒擾は、東国の諸将を争乱のなかへ巻き込んでいった。

 そのなかから、幕府の東国支配の象徴である堀越公方を滅ぼし、新興勢力として伊豆に台頭したのが北条早雲であった。明応4年(1495年)には小田原城を攻略して本城とし、伊豆、相模を制して、氏綱のときには武蔵、下総にまで進出した。氏康・氏政にいたっては上野・下野にまで勢力を広げ、戦国大名として一大勢力を誇示するまでになっている。

 北条氏は領国化した伊豆・相模・武蔵において、支城制と経済政策を巧みに駆使して領国支配を確立し、また関東足利氏の権威をも利用して、関八州支配をめざして北関東への進出を繰り返していた。

 一方、対岸の房総半島では、15世紀中頃に里見義実が、勢力の分立する安房を攻略して以来、房総での支配を確立していった。16世紀中頃には安房・上総を領国化する戦国大名に成長し、下総・相模にまで侵攻しているが里見氏もまた関東足利氏の権威を保護することで、その勢力の拡大をはかっていった。

 天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征討で、五代にわたった北条氏は滅亡、里見氏もこのとき領土を縮小され、元和8年(1622年)には十代にわたった里見氏も、伯耆国で断絶した。


北条氏五代系譜
 寄居町・正龍寺蔵
源氏里見系図 三芳村指定 三芳村・延命寺蔵
木造里見義弘像頭部
館山市・瑞龍院蔵
江戸時代
紙本著色北条氏康像
 神奈川県指定
 箱根町・早雲寺蔵