【1】-2 戦国高潮期の関東  

表紙

 またたくまに関東を席捲した北条氏は、北関東の諸豪族にとっては大きな脅威であった。とくに天文21年(1552年)に関東管領上杉憲政が、北条氏康によって上野の平井城から越後へ追われると、北条氏は急速に関東制圧へむけて動き出したのである。

 天文23年には氏康は甲・相・駿三国の同盟を成立させ、同じ年に古河公方足利晴氏父子を相州へ幽閉するなど、関東支配のための体制をかためていった。

 北関東や房総での攻防が繰り返され、北条氏の優位がしだいに明らかになってくると、永禄3年(1560年)には里見義堯をはじめ、常陸の佐竹氏や、武蔵岩付の太田氏、下野の小山氏など、反北条氏の勢力は、越後の上杉謙信の関東出陣を要請し、謙信が関東管領に就任することでその結束を強めた。

 しかし、甲・相・駿三国同盟が破綻すると永禄12年には北条氏康と上杉謙信の同盟が成立し、反北条氏勢力は武田信玄と結ぶなど、形成が流動的になり、反北条氏勢力はしだいに相互の連絡も疎かになっていった。

紙本著色武田信玄像
 本荘市指定
 本荘市・開善寺蔵
上杉輝虎書状 三芳村指定
三芳村・豊岡一夫氏蔵
(永禄8年)11月21日
太田資正書状(山吉文書)
 横浜市・神奈川県立文化資料館蔵
     <現蔵:神奈川県立公文書館>
     (永禄12年)2月11日
太田資正書状(山吉文書)
 横浜市・神奈川県立文化資料館蔵
     <現蔵:神奈川県立公文書館>
     (永禄12年)2月11日