【2】-2 揺れ動く人々  

表紙

 里見氏と北条氏の両勢力が接する上総や相模の沿岸地域で、両者の間にはさまれる人々は、ある時は里見氏に、ある時は北条氏に従うことで、戦国の世を生きぬいていた。

 天文23年(1554年)には、上総峰上城の吉原玄審助をはじめ、二十二人衆と称される土豪層が北条氏の誘いに応じて、久留里城の里見義堯に反旗を翻していた。この前年には北条綱成と、これにつづいて氏康も安房の西北部へ渡海しており、これによりここから西上総にかけては数年にわたって攪乱されていたようである。

 このような上総土豪層の動きは里見氏に深刻な影響を与え、永禄7年にも国府台合戦の敗戦につづいて、里見氏の重臣で上総勝浦城の正木時忠が北条氏と結んで反乱をおこしたときには、上総における里見氏の勢力は大きく後退することになった。

 一方、相模の沿岸部では、強力な水軍によって東京湾の制海権を掌握していた里見氏が度々進入して海辺の村々を悩ませていた。天正4年(1576年)には相模本牧郷が里見氏への差出しの地になっており、年貢の半分は北条氏へ出し、残りの半分を里見氏に差出すという状態であった。

 また里見氏と北条氏の和睦成立後、相模の回船商人である山口越後守は、天正7年に里見氏領国内での商売と諸役の免除を認められている。

北条氏朱印状 (鳥海文書)
 当館蔵(鳥海百合子氏寄贈)
 (天文23年2月27日)
仏胴胸五枚胴具足
 富津市・鳥海文也氏蔵
 伝吉原玄審助所用 戦国時代

 当館蔵(鳥海百合子氏寄贈)
 戦国時代
里見義頼朱印状
 横浜市・山口正司氏蔵
 天正7年9月26日
正木憲時朱印状
 川崎市・永塚正氏蔵
 天正7年5月6日