【3】-1 尼僧略奪  

表紙

 鎌倉尼五山の筆頭として知られる太平寺は、戦国期に至って突然廃絶に追い込まれている。これは里見義弘が鎌倉へ攻め入ったとき、時の住職青岳尼が本尊を携えて寺を去り、義弘の室になったことを原因とするものあった。

 太平寺は関東公方足利基氏の夫人清渓尼が中興して以来、足利氏の保護を得、尼五山第二位の東慶寺とともに、関東足利家の女性が多く住持している。

 青岳尼も古河公方足利政氏の息で下総小弓城に拠り、小弓御所と称した足利義明の娘であり、天文7年(1538年)の国府台合戦で義明が討死した際には、義明の遺児頼純とともに安房の里見義堯のもとへ保護されたと考えられている。その後足利氏と縁のある太平寺へ入寺したものであろう。

 義弘がこの事件をおこした年は明確には知りがたいが、弘治2年(1556年)の三浦攻めと永禄4年(1561年)の小田原攻めにともなう鎌倉進入が知られている。

 鎌倉でのこのような出来事に対し、時の北条氏康は「太平寺御事は、伽藍の事絶やし申よりほかこれなく候」と、青岳尼の妹である東慶寺の住職旭山尼に書状を送り、怒りをあらわしている。

 現在、円覚寺正続院にあたる昭堂(舎利殿)は永禄6年の大火後、旧太平寺から移建したものとして知られ、東慶寺に客仏として残る聖観音像も旧太平寺の本尊であったことが知られている。

 義弘の室となった青岳尼は興禅寺と泉慶院の二寺を開き、房州で歿した。法号を智光院殿といい歿年は天正4年(1576年)と伝えられる。

木造聖観音菩薩立像 重要文化財
 133.9cm 鎌倉市・東慶寺蔵
 旧太平寺本尊 鎌倉時代
聖観音由来書
鎌倉市・東慶寺蔵
江戸時代
北条氏康書状
 鎌倉市・東慶寺蔵
 年未詳 4月23日
北条氏綱書状
 鎌倉市・東慶寺蔵
 年未詳 10月13日
青磁蓋付鍋文壺 鎌倉市指定
 総高16.0cm 鎌倉市・別願寺蔵
 鎌倉市国宝館寄託
 太平寺跡出土 14世紀
古瀬戸黄緑釉尊形花器 鎌倉市指定
 総高17.8cm 鎌倉市・別願寺蔵
 鎌倉市国宝館寄託
 太平寺跡出土 14世紀
青岳尼供養塔
 館山市・泉慶院
 文政2年(1819年)
青岳尼供養塔
 富浦町・興禅寺
 延宝3年(1675年)
泉慶院
興禅寺