<佐貫城>

表紙

 富津市佐貫にある標高69mの南北に伸びる丘陵にあり、城山と呼ばれる。久留里とともに里見氏の上総経営の拠点として、おもに義堯の子息義弘が在城していた。もとはやはり武田氏の築城と伝えられる。

 小糸川と湊川の下流域中間の丘陵部に位置し、海岸から3kmほど内陸にある。後北条氏との間で緊張の絶えない境目の城であった。

 永禄初期には後北条氏の勢力が及んで、千葉氏が将兵を佐貫へ集結させているが、永禄中期頃からは義弘や義堯が在城するようになり、三船山合戦などでも重要拠点としてクローズアップされてくる。

 義弘没後は実子梅王丸が継いだと思われるが、天正7年義頼との家督争いに敗れ排除されてしまう。以後、後北条氏の配下から里見氏の家臣となった加藤氏が天正18年まで在城するようになった。

佐貫城跡(富津市)
8.懸仏(文明9年)
安国寺蔵
9.木造不動明王坐像(天文8年)
安国寺蔵
10.木造賓頭盧尊者坐像(天正15年)
光源寺蔵