<峰上城>

表紙

 湊川中流域の富津市上後にある標高130mの丘陵上に位置する。湊川流域の谷を押さえる要の城である。南北600m、東西500mの規模をもち、主郭部から枝状にのびる尾根を25ヵ所もの堀切で切断している。南面は「七つ堀切」とよばれる空掘で尾根を断ち切り、山裾まで段状の腰曲輪が続く入念な作事がなされているほか、石垣石段などの石積み遺構もみられる。中城とよばれる郭の西側には尾崎曲輪がある。

 この曲輪は天文22年に金谷城を焼き、2年後には久留里城包囲にまで拡大した房州逆乱といわれる事態を引き起こした張本人吉原玄蕃助と二十二人衆が拠っていた曲輪で、小屋を建てて在番したと考えられている。彼らは後北条氏から虎印判状を受け、里見氏に従属することをきらったのである。

 元来この城も真里谷武田氏の築城と伝えられ、周辺の神社には真里谷全芳の奉納した鰐口が残されている。天文6年(1537年)の武田氏内訌の際には、後北条氏の支援を受けた惣領真里谷信隆がこの城に籠り、里見義堯の囲みを受けている。そのことからすると、蜂上の土豪たちはこの頃からすでに親後北条氏の立場にあったのかもしれない。



◇◆ 城郭用語一口メモ(5) ◆◇
   -虎口{こぐち}-

 城の出入口のこと。戦闘の際、城の出入口は敵が殺到する。そのため防禦を考えて小さく狭く造ったので「小口」といわれた。防禦と攻撃の両機能を堅固にするため、さまざまな形式の虎口が作り出されている。桝形{ますがた}や馬出{うまだし}と呼ばれるものもその形式のひとつである。

峰上城跡(富津市)
2.上総国天羽郡上後古城之図(峰上古城図)
國學院大學図書館蔵
18.峯上之城摩利支天鰐口(天文2年)
石井博氏蔵
19.真里谷全芳奉納鰐口(天文8年)
椙山林継氏保管
20.真里谷全芳奉納鰐口(天文11年)
白山神社蔵
21.仏胴胸取五枚胴具足
(伝吉原玄蕃助所用)
鳥海文也氏蔵
22.菊花双鶴鏡
館山市立博物館蔵
22.鳥海家所伝の刀と槍
館山市立博物館蔵
23.北条氏印判状
<尾崎曲輪根小屋廿二人衆・吉原玄蕃助宛>
(天文23年)
2.上総国天羽郡峯上古城之図
國學院大學図書館蔵