<長南城>

表紙

 長南町長南にある標高45m~72mの丘陵に位置している。一宮川の支流が縦横に走る痩せた尾根の丘陵地帯である。

 15世紀の中頃、武田氏による東上総支配の拠点として取り立てられたとされる。一族の武田信道の子孫が長南武田氏として本宗家から自立した道を歩んだため、天文期の内紛にも巻き込まれず、里見・正木氏の上総進出にあっても独立した立場を維持した。

 丘陵細尾根に堀切や連続した腰曲輪を構築しているが、地形的に広大な平坦面が作れないため、主要建造物を谷部に建てたと考えられている。長南武田の本城にふさわしい、谷部を取り込んだ大規模な城郭であった。

 武田氏も里見氏と後北条氏とのあいだを揺れ動いたものと思われる。弘治4年(1558年)には支配下に置いた池和田の衆と安房清澄へ軍勢を進めているが、小田喜の正木憲時と姻戚関係にあったりもする。しかし天正18年には後北条氏と運命をともにした。

長南城跡(長南町)
36.鐙
武田信孚氏蔵
37.三十二間筋兜
武田信孚氏蔵
38.黒糸肩裾取威胴丸、兜、小具足
(伝武田家臣白井河内守所用)
白井聡明氏蔵
39.長南城跡出土遺物
(長生郡市文化財センター蔵)
長南城跡出土カワラケ片・常滑片・天目片・すり鉢片
鉄鏃・鉄砲玉