【1】旅から旅行へ  

表紙

 「旅」と「旅行」という二つのことばがあります。「旅」はつらく、「旅行」は楽しいと区別したのは柳田国男でした。そして旅行は近代の新文明が生み出した楽しみだということなのですが、江戸時代から旅そのものを楽しむ庶民はたくさんいました。伊勢参りなどのように寺社参詣に名をかりた楽しむ「旅」、旅の行程までもを楽しむ遊山の旅は、江戸時代の中期から増えていたっといいます。

 とはいえ危険がつきものだったからこそ、「旅」はつらいものでした。そこで文化7年(1810年)には、盗人や自身の健康、身の回りの難儀に注意するための『旅行用心集』という本が発行されたり、路程の案内のためのポケット版道中絵図や道中案内記も江戸時代中期以降には続々と出版されていました。

 そうした庶民の遊山旅の流行には、弥次さん喜多さんの珍道中で知られる十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の大ヒットがありますが、文政10年(1827年)頃にはその房総版である『小湊参詣金草鞋』というのも出版され、那古寺門前の飴屋の繁盛が描かれています。

 自分の足で歩くことで、つらいなかにも道中の楽しみをともなっていた江戸時代の旅は、明治時代になると、大きくその様子を変えていきました。それは大量・迅速輸送を可能にした鉄道や汽船などの発達がもたらしたものでした。自分の足で歩き、その旅程に危険と隣り合わせの難儀をかかえていた旅が、行程の危険を回避し、しかも短時間で目的地へ達してしまうことになったわけで、楽しみに比重が移った「旅行」へと変化していくわけです。道中絵図は鉄道路線の案内図となり、道中案内記も旅行案内書へとかわりました。大正頃には短い余暇を楽しむ旅行がブームとなり、昭和の時代になると日本中が観光旅行を楽しむようになりました。

 館山が観光地となっていくのは、こうした「旅行」が一般化してからのことですが、ではいったい館山への旅行者は、江戸時代から明治時代へとどのように変化をしていったのでしょうか。その歴史をたどりながら、いつから館山で「観光」という産業が成立していったのかを、以下に見ていきましょう。

1.笠  (現蔵:鉄道博物館)
5.大日本早引細見絵図(文久3年)  (現蔵:鉄道博物館)
4.大日本道中行程細見記(天保8年)  (現蔵:鉄道博物館)
6.旅行用心集(文化7年)
  (現蔵:鉄道博物館)
9.女手形(慶応4年)
7.小湊参詣金草鞋(文政10年頃)
8.旅日記(天保7年)
10.11.12.海水浴の旅行スタイル
10.旅行用バスケット
13.トランク
14.汽車汽船旅行案内 (明治27年)
15.最新鉄道地図(大正14年)