鏡ヶ浦八景 

表紙

 近江八景などにならい、鏡ケ浦にも八景があてられるようになるのも自然のなりゆきであったでしょう。和歌や漢詩に通じた八幡村名主の根岸定宜が、安政3年(1856年)に鏡ケ浦八景を詠んでいるのが現在確認されるなかでは古いものです。明治になるとそれぞれの好みで八景を詠む人が増え、おおやけに紹介されるようになっていきます。さまざまな鏡ケ浦八景をまとめた「鏡ヶ浦八景一覧」の表をみると、明治31年(1898年)に発表された版画の「房州鏡ケ浦八景」は東京方面に浸透していくようです。また、房州では大正6年(1917年)の『安房の伝説』で紹介された八景が定着していく様子がわかります。

24.根岸定宜『初学一』(安政3年)
25.前田伯志『甲午春館山紀行』(明治27年)
26.安房国鏡浦八景之図(『房陽奇聞』明治22年)   船橋市西図書館蔵(無断転載禁止)
27.房州鏡ケ浦八景(明治31年)   船橋市西図書館蔵(無断転載禁止)
28.秋月堂の鏡浦八景珍菓子広告(『避暑避寒房州案内』明治37年)