【4】観光都市館山の成立 (1)鉄道の開通 旅客を迎える人々

表紙

 房総半島は海運が発達していたこともあって、鉄道建設が県北に比べて大幅におくれていました。明治30年代には県北の鉄道網はほぼ完成していたのですが、内房の木更津駅開設は大正元年、外房の勝浦駅開設が翌2年のことで、北条まで延びてくるのはようやく大正8年(1919年)になってのことでした。

 とはいえ、木更津や勝浦まで鉄道が延びてくると、それ以南の地域には乗合馬車や乗合自動車などの路線網がつくられていきました。交通手段が多様化し、また短期休暇を過ごす人々や海水浴客の増加にもあわせるように、大正時代にはいると房州までの交通や房州の見所、遊び、土産などを掲載した案内書や案内地図を発行する地元書店もふえていきました。案内書には旅館や書店の広告はもちろん、写真館・料理店のほか薬局・病院の広告が多数をしめているのが注目されます。また書店や菓子店を中心に土産物販売も盛んになり、絵はがきが大量につくられ、梨・枇杷酒・枇杷羊羹・鯨缶詰などが宣伝されるようになります。北条町長須賀の秋月堂では、北条に来遊してくる東久世伯爵・堀田伯爵・万里小路伯爵・杉浦男爵・佐々木信綱などの肝煎りで、鏡浦八景珍菓子を企画販売していました。また明治30年代に北条海岸で房州土産商会を経営した音尾松蔵は、大正時代初期にはこれを球突(ビリヤード)などの遊戯場を持つ安房倶楽部に発展させるなど、遊興性もでてきました。こうして行楽地としての意識が高まると、行楽のための基盤施設も用意されていくことになります。

57.房州鏡ケ浦全景絵図(大正4年)
58.東京湾汽船の桜丸(大正11年から房州航路に就航)
42.北条桟橋と汽船(大正頃)
60.館山海岸の桟橋会社
54.『増訂六版安房漫遊案内』広告(大正7年)
62.房州見物(大正6年)・安房の名所(大正7年)
       船橋市西図書館蔵(無断転載禁止)
59.絵はがき各種
63.実測安房郡図・房州案内(大正8年~昭和3年)
64.『四訂安房漫遊案内』広告(大正3年)
65.房州人形(漁師姿)
66.絵皿「房州臥龍松」
65.団扇絵版画「房州海水浴場」