【6】戦後の観光  

表紙

 戦後の復興にも観光が大きな役割を担っていたようです。昭和22年(1947年)に館山市観光協会が市民投票で鏡ケ浦を中心とした館山三景二勝を選定し、新たな観光宣伝を始めます。翌23年には議会の常任委員会に観光委員会が設けられ、館山市でも商工関係の担当課で観光施策を所管して、館山銀座振興会を中心に盛大な七夕祭りの実施や関東チンドンヤ大会など、毎年さまざまな夏の観光行事を繰り広げるようになっていきました。昭和26年には富浦から館山・白浜・千倉の地域が南安房県立公園に指定され、28年になると国鉄で臨時列車汐風号が初運転されて、観光客のための交通も復活していきます。昭和26年度の観光客数は戦前の最高だった昭和11年頃の3割から4割でしたが、弁当持ちの日帰り客は戦前をしのいだといいます。

 昭和29年に周辺6村と合併して現在の館山市になると、市役所に専任の観光事務局をおいて事務にあたらせるようになります。そしてその翌年に当選した田村利男市長は、房総半島の南部海岸を国定公園に指定するための期成会を結成し、「観光都市館山」の実現を標榜して街づくりをすすめていきました。昭和33年8月に国定公園の指定をうけると、毎夏70万人の人々が訪れるようになり、道路や宿泊施設の整備、平砂浦や城山公園などの観光センター地域の開発整備や都市美化などが、日本全体の国土開発の流れにのって進められていきました。そして昭和40年代になって、海水浴中心の夏の休養型観光から、花摘みやいちご狩りなどの四季を通じての旅行型観光地となるための基盤整備が進められるようになり、昭和50年代に花摘み園やイチゴ園がオープンしていったのです。

118.観光の館山(『館山市誌』挿絵 昭和31年)
119.南房総国定公園鳥瞰図
122.斎藤光雲画「七夕祭り」
122.同「鏡ケ浦の夕景」
123.同「那古観音」