【2】地形の移り変わり  

表紙

 館山平野の地図をよくみると、海岸に平行していくつかの集落が形づくられていることに気がつきます。その集落の中央に南北の道がつらぬかれているのですが、こうした古い集落になっているところは周囲よりも少し高くなっています。それは砂丘のうえに集落ができているからです。こうした南北に長い砂丘を、館山平野ではいく筋かみることができます。

 はっきり形がわかるものは、腰越から三芳村本織にかけての列、国分寺がある国分から安房国府があった三芳村府中にかけての列、安布里から上野原・高井・正木にかけての列、長須賀から北条の神明町・湊の子安神社にかけての列、北条の六軒町から八幡・川崎・那古へかけての列、そしてもっとも海岸に近いのが館山の新井から那古までの海岸道路沿いです。

 館山平野の砂丘は、それぞれがそのむかし波打ち際にあったもので、海岸に砂が吹き寄せられてできた丘です。長い歴史のなかで地震による土地の隆起などがあって、海岸線が後退し、いく度かにわたって砂丘がつくられ、列をなしていきました。

 館山駅から駅前の銀座通りまでがゆるやかな上り坂になっているのは、砂丘にのぼっていくからです。銀座通りの商店街は砂丘の上にあるのですが、ここに砂州が作られていたのはわずか300年前までのことでした。元禄16年(1703年)の大地震によって隆起がおこり、北条では400mも海岸線が退きました。それまでは銀座通りの海寄りが波打ち際だったわけで、館山駅が建つ場所も海の底だったということです。

 大正12年(1923年)の関東大地震のときにも平均1.5mの隆起がありました。そのときにできた砂丘が海岸通りに接して内陸側にある松林などがある列です。

鏡ヶ浦周辺の砂丘と段丘(『千葉県の自然誌 本編2』参考)