幕末の海防

表紙

 最初の海防施設が鏡ヶ浦にできたのは、文化7年(1810年)に奥州白河藩の松平定信が房総の海岸警備を命じられたときでした。富津市の竹岡と千倉町の白子、そして鏡ヶ浦の波左間に陣屋を設置し、洲崎に台場が築かれました。その後天保13年(1842年)に担当が武蔵忍{おし}藩に移ると、大房にも大規模な台場が築かれ、弘化4年(1847年)に北条の鶴ヶ谷に陣屋を移転して、北条海岸にも大砲を据えました。館山藩でも高の島に砲台を設置したと伝えられています。嘉永6年(1853年)に岡山藩の担当に替わり、安政5年(1858年)に日米修好通商条約によって警備が縮小されるまで続きました。

112.武蔵忍藩安房北条陣屋図
 弘化4年(1847年)
幕末の東京湾警備
113.神国伏夷武徳安民御固泰平鑑 文久2年(1862年)
114.安房郡北条村陣営図(『近海見分之図』)
 嘉永3年(1850年)      神奈川県立歴史博物館蔵
115.大房御台場図
116.洲崎御台場図(『砲台縮図絵巻』) 安政4年(1857年)