<観音堂を拝観する> 

円通閣扁額 文政2年(1819年) 松平定信筆

観音菩薩のことを円通大士とか大悲聖者ということから、観音堂を円通閣とか大悲殿という。向拝{ごはい}に掲げられている右の額は観音堂であることを示しているわけだ。横幅が280cmもある大きな額で、幕府老中を勤めた松平定信の書(文化14年(1817年)筆)である。奥州白河藩主として房総の海岸警備の任にあたったことがあり、館山を訪れたこともある。江戸出開帳がおこなわれた文政2年(1819年)に江戸築地の日高屋与兵衛を中心に、江戸の商人たちが奉納した。

観音堂外陣

 一般の信者が参拝する外陣{げじん}にはさまざまな奉納物が寄進されている。また江戸時代以降の人々はお堂にも様々な装飾を施した。絵馬やご詠歌の額、天上に描かれた絵や建物に取り付けられた彫刻などである。

欄間「龍」彫刻 宝暦9年(1759年)

観音堂の内陣と外陣を仕切る格子の上の欄間には三面にわたって大きな龍の彫刻がある。観音堂再建の翌年宝暦9年(1759年)に江戸蔵前の札差大口屋平兵衛と地元の商人釜屋太左衛門らが奉納した。作者は不明である。その上部には、享保16年(1731年)に江戸神田の彫刻師後藤茂右衛門正紀が制作した蟇股の彫刻が組まれている。

宮殿 天明元年(1781年) 千葉県指定文化財

 格子の先を内陣といい仏が祀られる空間になっている。本尊の千手観音菩薩像が安置されているのは中央の宮殿{くうでん}のなか。いわゆる厨子である。正面の幅が440cmという大きな厨子で、三間を設けて本尊の両脇に不動明王と地蔵菩薩を安置する千手三尊の形式である。大工も世話人も地元の人々によって造立されているが、彫物は江戸神田の彫刻師嶋村源蔵の仕事である。

本尊木造千手観音菩薩立像 館山市指定

 那古寺の由緒書によれば、本尊の千手観音菩薩は奈良時代の僧行基が海中より得た霊木を七尺の千手観音に刻んで、本尊として安置したとされている。現在の本尊は像高およそ149cmの一木造りで、平安時代後期の作。いわゆる藤原仏である。素朴な彫技に土着のエネルギーを感じさせる強さがある地方色豊かな作風がみられる。元禄地震前の延享3年(1675年)に江戸元呉服町の平岡久右衛門兄弟が修復し、同時に宮殿も再興したことが下の銅板の額に書かれている。

17.本尊千手観音再興記銅板額 
 延宝3年(1675年)