<坂東三十三所観音巡礼> 

表紙

 源頼朝の篤い観音信仰と東国武士への観音信仰の浸透を背景に始まった坂東の札所 は、鎌倉の第1番杉本寺を起点に時計回りに関東を巡拝し、房総半島の先端那古寺が第33番の結願寺という形で成立しました。江戸時代初期の那古海岸には、「江戸往行・観音参詣・諸国巡礼など方々へ往行の船」があり、那古寺ですべての納経を終えた巡礼者は船に乗って帰りました。それは補陀落浄土へ向う心持だったことでしょう。旅をともにしてきた笈摺もここで脱ぐことになります。それを御詠歌にした額が那古寺には掛けられています。

 しかし江戸時代に効率を重視した江戸を基点の巡礼に変わると、那古寺の次に第30 番の高倉寺が案内されます。那古寺が最後ではなくなるのです。坂東札所だけを単独で巡礼することはあまりなく、通常は西国巡礼を基本に、坂東秩父を加えた百観音を巡拝することが行なわれました。

                       
71.三十三所坂東観音霊場記 明和8年(1771年)
7.那古寺笈摺御詠歌額 昭和17年(1942年)

82.坂東順礼独案内

41.坂東三十三観音御影板木
91~96.第31番笠森寺の納札 天正10年~慶長15年

 霊場には巡礼者が納めた古い納札が残されている。古いものは南北朝時代からあるが、県内では笠森寺の戦国時代末のものが知られている。また札所側でも本尊の姿を描いた札を摺って配り、また坂東札所の各本尊を描いた札も配られていた。那古寺でも何枚も摺って摺りつぶれた板木や、再版された板木などが残されている。

20.六十六部縁起之事 貞享3年(1686年)

 札所の巡礼だけでなく、日本全国六十六か国にある寺社霊場の廻国巡拝も行なわれ、六十六部と呼ばれる修行者の活動もあった。那古寺には下関から来た廻国聖が納めた六十六部の由緒書が奉納され ている。源頼朝の前世の姿とされる頼朝房{らいちょうぼう}が、時政房などの従者とともに廻国したのが起源とされるもので、那古山の北側に頼朝免{らちょうめん}という土地があるのは、この六十六部とかかわりが あるのかもしれない。

坂東札所三十三か所