<那古の祭礼(観音祭礼)> 

表紙

 7月17日・18日に行われる那古の祭礼は、那古寺の行事に位置づけられた祭礼です。東藤・宿・寺赤・浜・芝崎・大芝の6町内が参加しますが、明治30年(1897年)に東藤・浜・芝崎・大芝の4町が那古観音の縁日に山車を持ち寄ったのが合同祭礼の始まりです。寺赤が少し遅れて明治34年(1901年)に加わり、大正12年(1923年)に宿が屋台で加入し現在のかたちになります。  しかし合同になる前から各町内で祭りは行なわれていたようで、明治になってから順次山車を手に入れ祭礼を行なっていました。寺赤と宿という元寺領の町内よりも、私領だった町内が中心になって那古寺の祭礼に位置づけたところに、那古寺を中心にした門前町の姿を見ることができます。

 7月17日・18日に行われる那古の祭礼は、那古寺の行事に位置づけられた祭礼です。東藤・宿・寺赤・浜・芝崎・大芝の6町内が参加しますが、明治30年(1897年)に東藤・浜・芝崎・大芝の4町が那古観音の縁日に山車を持ち寄ったのが合同祭礼の始まりです。寺赤が少し遅れて明治34年(1901年)に加わり、大正12年(1923年)に宿が屋台で加入し現在のかたちになります。  しかし合同になる前から各町内で祭りは行なわれていたようで、明治になってから順次山車を手に入れ祭礼を行なっていました。寺赤と宿という元寺領の町内よりも、私領だった町内が中心になって那古寺の祭礼に位置づけたところに、那古寺を中心にした門前町の姿を見ることができます。

山車揃え 平成17年
年番渡し 平成15年

東藤組 (昭和11年)

豊臣秀吉の人形をのせ、子飼いの武将である加藤清正の虎退治を描いた大幕を廻しているのが東藤の山車。昭和11年製作で、彫刻は千倉の後藤義徳。東藤では明治になってまもなく山車をつくり、大芝とともに鶴谷八幡宮に参拝したという。現在の山車は5代目。

                                                                                                       

宿組 (昭和10年)

  那古では唯一の屋台で、大正4年の製作。彫刻は国分の後藤義信。多作の人である。前舞台の人形は古典を題材に毎年入れ替える。宿では江戸時代末の安政年間頃に踊り屋台を作ったといわれている。現在は2代目。

寺赤組(大正4年~大正5年頃)

後醍醐天皇の人形に楠正行ら南朝の忠臣を描いた大幕を組み合わせて、『太平記』をテーマにしている。山車の製作は明治32年と考えられている。彫刻は千倉の後藤義光の作で、明治33年から35年の最晩年の作。寺赤の山車は館山市の有形民俗文化財に指定されている。

浜組(昭和22年)

 町内に厳島神社があることから祭神である弁財天の人形をのせ、水神としての性格から浪と龍の大幕を合わせた山車。明治43年の製作で、2代目の山車。彫刻は国分の後藤義信で、宮島の厳島神社などがある。

大芝組 (大正11年)

 神武天皇の東征神話に基づく人形をのせ、大幕は鶴を基調にした図案の山車である。当初は東照宮(徳川家康)の人形で、大正11年に神武天皇になった。明治11年(1878年)に北条の町内から山車を譲り受けたのが始め。その後返却して現在のものになったらしい。明治30年以前の山車とされる。彫刻は国分の後藤義信で大正11年の作。

芝崎組 (昭和28年)

 天皇家の祖神である天照大神の人形に、唐獅子と牡丹の大幕をめぐらす。明治30年 以前の山車とされ、当初は天照大神の弟神である素盞鳴尊の人形だったが、昭和6年に天照大神となった。彫刻は後藤義信。