<那古寺の文化財> 

表紙

 江戸時代は幕府から与えられた寺領を財政母体として那古寺の運営がされてきましたが、地域住民の厚い信心と観音巡礼者の信仰によって、歴史ある堂宇や仏像法具などが修理維持され、また新たに奉納整備されてきました。

 建物や仏像法具をはじめ、多様な思いを込めて那古観音に奉納された額などは、すべてが多くの人々の信仰のあかしであり、そして長い年月を経て、現在は歴史を語る文化財としても生き続けています。

13.古今兄弟兵曽我草摺引図絵馬 享保10年(1725年) 館山市指定文化財

この絵馬は享保10年(1725年)4月、那古寺本尊の江戸出開帳に合わせて奉納された歌舞伎の名場面図。奉納したのは日本橋本船町の嶋津屋四郎兵衛と記録されている。初代市川団十郎演じる曽我物の浮世絵である。右が仇を見つけて討とうとする曽我五郎、左が鎧の草摺をつかんで引き止める朝比奈三郎で、「古今兄弟兵{つわもの}曽我」が題材。力強さを表現する「ひょうたん足みみず書き」という鳥居派の作風で、この作風を完成させた鳥居清倍の作と考えられている。左上に「西国秩父坂東」の文字がかすかに見える。

34.小倉百人一首天井絵「和泉式部図」
 明治34年(1901年) 

 124枚揃えられた格天井絵で、明治33年にはじまった和泉式部霊塔の拝殿建設計画のなかで準備された。和泉式部を中央の鏡天井にすえ周囲を小倉百人一首と二十四孝の図柄で囲む。作者は越前から来ていた寺田筠石という絵師で、安房地方でこの時期にいくつかの作品を残している。

15.銭額「観世音」 明治22年(1889年)

通用しなくなった古銭を使って、東京霊岸島の家族が奉納した銭額。作者は勝文斎(四代目)といい、日本橋人形町で押絵細工の名手として知られていた人物。

諸尊礼拝図絵馬 明治14年(1881年)

 釈迦三尊・阿弥陀如来・地蔵菩薩・不動明王・弘法大師とそれを礼拝する人々が描かれる。千代村(南房総市)の人が発願主で大願成就を感謝して奉納した。作者は館山藩の絵師だった川名楽山。

14.繋ぎ馬図絵馬 文化8年(1811年) <下部欠損>

馬の絵馬であるが、名馬を手に入れることを望んでいた山本村(館山市)の人が、思い通りの名馬を手に入れたお礼に馬主とともに納めたものである。観音に願を懸けていたのであろう。

21.繍字法華経普門品 中国元朝 至正21年(1361年) 千葉県指定文化財

刺繍の技法で文字を縫い取ったものを繍字という。これは法華経のうち観音経にあたる普門品の全文を藍色の絹糸で縫い取ってある。「佛」の文字は金糸を使っている。また巻頭の見返しには釈迦如来と普賢菩薩が描かれ、巻末には千手観音菩薩が描かれている。

 中国の元朝のとき、平江州(江蘇省)の女性たちが協力して製作したことが奥書に書かれており、中国からの渡来品であることがわかる。元禄15年(1702年)に京都にある真言宗の学問所智積院の9世宥鑁から那古寺に与えられた。同じ由来の繍字法華経のうち宝珠院(南房総市)に陀羅尼品、智積院には妙音菩薩品が伝えられている。

同上金糸「仏」寺

鏝絵「神功皇后と武内宿禰図」絵馬 嘉永2年(1849年)

漆喰で描かれた鏝絵である。江戸八丁堀の左官新八の作。神功皇后の朝鮮出兵の神話を題材にしている。老臣武内宿禰が抱いているのは皇后の子応神天皇であり、応神天皇が八幡宮の主祭神とされている。鶴谷八幡宮でも神功皇后とともに祭神として祀られ ている

芭蕉句碑 文政6年(1823年)

 芭蕉の130回忌に竹原村の彡戒ほか山本・南条・白浜など周辺の俳人6人が世話人となって建立した。「此のあたり 眼に見ゆるもの 皆すすし」とある。

芭蕉句碑 明治22年(1889年)

 4年後の芭蕉二百回忌を見越して、小原村の山口路米が発起人となり、内房地域の俳人139人の協力で建立された。「春もやや 気色ととのふ 月と梅」とある。

大蘇鉄 館山市指定天然記念物

 樹高が4.75mある。幹が地を這わず、主幹・支幹ともに直立する巨樹である。嘉永7年(1854年)に江戸大相撲の幕内力士一力長五郎が石垣を奉納している。

那古山自然林 館山市指定天然記念物

 標高82mの那古山はスダジイを中心にした常緑広葉樹林で、安定した自然の世代交代を続ける極相林である。タブノキ・ヤブニッケイなどの高木と、ヤツデ・イヌビワなどの低木がある。

八大龍王碑 安政3年(1856年)

 竜王堂の前には仙台石を使った八大竜王の碑がある。水の神としての竜神信仰から、石巻(宮城県)の高橋屋作右衛門と大徳丸が那古の船仲間とともに廻船の海上安全を願って建立している。