那古寺蔵『観世音経』について 宇都宮啓吾(大阪大谷大学教授)  

表紙
     紙本墨書(楮紙)
     巻子本(一軸 全四紙)
     縦26.2cm 全長175.8cm
     奈良時代前期

『観世音経』は『観音経』とも言い、『妙法蓮華経』の「観世音菩薩普門品第二十五」の別称である。那古寺本『観世音経』一巻(以下、那古寺本)においても首題に「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第廿五」とあり、尾題(本文末行下部)に「観世音経」(本文と同筆)とあることからも、このことが窺われる。

また、その内容は、観世音菩薩が三十三身を現わして苦難に遭遇している衆生を救うというものであり、観音信仰の流布に非常に大きな影響を与えている。

『日本書紀』巻第二十九(朱鳥元年七月条 A.D.686)によれば、天武天皇の御悩平癒のために観世音菩薩の造像と『観世音経』の書写の行なわれたことが知られ、元正天皇の御悩平癒のために観音像の造像や伽藍の創建がなされたという縁起を持つ那古寺に『観世音経』が伝来していることは、まさに相応しいものと思われる。

那古寺本の書写時期については、奥書が存しないために書写年次を確定することは困難であるが、その字姿がやや扁平で謹厳な楷書体となっている点等、奈良写経の特徴を示している。

那古寺本の装幀は巻子装(軸装)で、後補軸と後補表紙が施されている。但し、軸は金型で軸頭に蓮花文様、また、後補表紙は見返しに金箔散らしの施されたものであることから、後代における丁寧な修補を看取することができる。

料紙は、穀紙{こくし}(「楮紙」の古名)を丁寧に打紙し、更にその表面を猪牙等で磨いたものと考えられる。界線(淡墨界)は全紙に施されており、界高 19.5cm、界幅1.85cmで、一紙28行、一行17字である。

奈良時代に『観世音経』書写の例は多いものの、その現存例は少なく、本経の他には唐招提寺蔵本(断簡・飛鳥時代書写かとも疑われる奈良時代初期書写)や滋賀県聖衆来迎寺本(奈良時代中期書写・滋賀県指定文化財)など数例しか存せず、那古寺本は日本における観音信仰流布の一端を窺わせる数少ない遺経として貴重なものである。

次に、本文自体についても検討してみる。

漢訳本『法華経』の現存する全訳は

 ○『正法華経』十巻 竺法護訳(西晋景帝 太康七年A.D.286)

 ○『妙法蓮華経』七巻 鳩摩羅什訳(姚秦文桓帝 弘始八年A.D.406)

 ○『添品妙法蓮華経』七巻 闍那崛多等訳(隋文帝 仁寿元年A.D.601)

の三種が存する。

本文については、『正法華経』と『妙法蓮華経』・『添品妙法蓮華経』とで大きく異なっている。そして、『添品妙法蓮華経』は、『妙法蓮華経』の訳文に従いながらも、提婆達多品を宝塔品の中に編入し、陀羅尼品と嘱累品の位置を変え、『観世音経』の当該品である普門品に偈頌(韻文)を加えるという相違が存する。

また、現行流布の『妙法蓮華経』には普門品に偈頌が加えられた形で存在しているが、本来の鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』にはこの偈頌が存せず、長行(散文)のみで構成されている。

那古寺本ではこの偈頌が存しない本文を有しており、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の古い形を留めた本文であることが知られる。

先述の奈良写経として知られる唐招提寺蔵本には当該の偈頌が存していることから現行流布の鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』と系統を同じくしているものと考えられるが、那古寺本と聖衆来迎寺本には偈頌が存しておらず、日本における奈良写経の『観世音経』には現行流布本とは別に鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の古態を留める本文系統の写経の存したことが確認できる。

これらのことから、那古寺本は数少ない『観世音経』の奈良写経としての価値のみならず、その本文系統の問題として、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の古態を残し、現行流布本系統とは異なる本文系統の古写経としては日本において最古の部類に入ると考えられる点でも貴重なものと言える。

なお、那古寺本の伝来については、寄進状等の文書・記録類が存していないために明確ではないが、明治期の『什器取調帳』によれば、永禄八年(A.D.1565)三月に足利家国による『孔雀明王経』の寄進が行なわれており、那古寺本『観世音経』もその折の寄進とされている。『足利家国寄進状』には寄進目録として寄進物の名が連ねられていたものと考えられるが、『孔雀明王経』より後ろが断ち切られているために、現状ではその確認が困難である。

左:22.観世音経(尾部) 右:(首部)