長須賀の医者どん・上野家(館山市) 

表紙

 里見家家臣の家柄で、里見氏没落後に長須賀村で帰農した弥七郎信国が、金沢文庫蔵書の医書『孫真人玉函方』を手に入れて村人の治療をしたと伝えられている。手に入れた医療知識を地域で活かしたということだが、本格的な医者どんは、元禄地震のあと医師を志して江戸で幕府の侍医藤本立策(立泉カ)に師事した才庵義明(1760年没、60歳)が、上野家の初代医師となった。以降、主馬(助明)-主馬(知明)-主馬(義泰)-良助(清泰)-主馬(義寧)-隆卿(義弼)と続き、明治34年(1901年)に上野医院を開いた幹太郎(1941年没、79歳)まで8代にわたって長須賀で医業を継いだ。主馬義泰(1830年没、63歳)は白河藩波左間陣屋(館山市)の陣医となり、『麻疹捷方』を著したという。

90.上野氏歴世墓誌(明治4年)拓本 
上野節子氏蔵
91.扁額「積習堂」(明治34年) 
当館蔵
93.柱聯 
当館蔵
 「鶏猪魚蒜享著則喫 生老病死時到則行」と書いてある。「鶏肉、獣肉、魚肉、にんにくを目の前にすれば食べるものであり、生まれて、老い、病みて、死ぬことは時の成り行きに従うものである」ということ。長須賀の上野家積習堂に掛けてあった。

94.医方相伝書<三世之脈>(元和9年) 上野和子氏蔵

95.医方相伝書<一治療>(元和9年) 
上野和子氏蔵