岡田村の医者どん・山口家(館山市) 

表紙

 岡田村のイシャドン山口家は、上真倉村(館山市)の真里谷伝兵衛信重の門人として阿蘭陀{オランダ}外科を学んだ調兵衛祐益(1755年没、87歳)が医業を始め、与兵衛-利広-正禎-貞幹-貞斎-黛庵と続き、明治18年(1885年)に没した調平まで医家として8代続いた。祐益は犬石村(館山市)から山口家に来た人とされており、犬石のイシャドン島田家から漢方医学を身につけてきたものと思われる。次代の与兵衛は丹生村(南房総市)のイシャドン加藤家から来たとされている。また家系からは竹原村のイシャドン篠塚家を継いだ周伯や、文化年間頃に広島藩の侍医として江戸青山の下屋敷に住んだ河埜周珉などが出ている。

 山口家には、長崎でポルトガル系の南蛮流外科とオランダ系の紅毛流医学を学んだ西玄甫(1684年没)から、子の西宗春-真里谷伝兵衛-祐益へと伝わったことを示す享保10年(1725年)の阿蘭陀外科許状が残されている。

 ちなみに真倉の真里谷家は里見家の家臣だった家柄で、上真倉村の名主も勤める家である。伝兵衛信重は不老軒と称し、享保11年に没している。

106.神農像 
山口正治氏蔵

105.阿蘭陀外科許状(享保10年)  山口正治氏蔵