小湊村の医者どん・沼野家(鴨川市) 

表紙

 関が原で敗死した大谷刑部の家臣湯浅吾助が小湊へ来て沼野家の祖になったと伝えられる。医家としてのはじまりははっきりしないが、12代目とされる玄昌(1799年没)以降、代々玄昌を称して18代目元昌(1986年没)まで継承し、自宅を一貫堂と称した。14代目玄昌(村章)は江戸で産科の名医蛭田玄仙に医術を学び、師の教えに独自の見解を加えて『産則全書』をまとめた産科医である。15代目も産科を主とした。16代目玄昌は佐倉藩の順天堂で20歳代の10年間、佐藤舜海から西洋流の内科外科術を学び、小湊に帰郷後の慶応3年(1867年)には江戸へ出て幕府医学所で種痘術の免許を受けている。

108.『産則全書』(天保2年) 
沼野健氏蔵
109.三則全書板木 
沼野健氏蔵
110.『産論翼』写本(安永4年) 
沼野健氏蔵
111.16代玄昌筆「蓮潭記」 
沼野健氏蔵
 安政3年(1856年)夏にコレラが流行した際の詩。多くの子どもたちが斃れていくのを嘆き、自分が治すという気概を詠んでいる。
112.薬籠 {やくろう}
沼野健氏蔵
左:113.誕生寺帯刀許状(天保3年) 沼野健氏蔵
右:113.誕生寺帯刀許状(弘化4年) 沼野健氏蔵
 文政7年(1824年)、重篤だった誕生寺四十八世日詺上人の病を治した14代目玄昌は、天保3年(1832年)に真の医術家として小湊誕生寺から帯刀を許されている。15代目も家督相続した翌年に五十世日盈上人から帯刀を許可された。
114.印籠 
沼野健氏蔵
115.扇子 
沼野健氏蔵