平久里中村の医者どん・加藤家(南房総市) 

表紙

 里見家の組頭二十人衆だった加藤孫五郎を先祖とし、江戸時代は平久里中村の名主と嶺岡牧の牧士を代々勤めた家である。文政年間に江戸の足立長雋に蘭方医学を学んだ玄叔(1873年没、72歳)から医師を勤めるようになった。詩文を好んで霞石と号し、多くの文人が加藤家を訪れている。太尾村(鴨川市)の鈴木玄道や波太村(鴨川市)の安倍玄節、府中村(南房総市)の平松玄齢などの医術の地域門人を育て、伊勢長島藩増山家の侍医を勤めた。家は江戸で医師渡辺春貞に学んだ次男玄章が継ぎ、明治初期には種痘に力を注いでいる。孫淳造(1914年没、63歳)も医事に努めて郡部医会の会頭を勤めた。傍ら民権運動に積極的にかかわり衆議院議員になっている。

127.加藤玄叔肖像画<『品石風雅』所収>(慶応2年)  
加藤昭夫氏蔵
128.加藤淳造履歴書 
加藤昭夫氏蔵
 
129.千葉県検疫委員辞令(明治12年)  
加藤昭夫氏蔵
平久里中(南房総市)の加藤玄叔墓
鶴谷八幡宮(館山市)の加藤玄叔寿像碑(明治3年)