高井村の医者どん・高木家(館山市) 

表紙

 高井村のイシャドン高木家は医家となった時期は不明だが、文政4年(1821年)に没した玄俊以降、済安-抑斎-静斎(1897年没、76歳)と続き、明治30年に北条町の新宿へ出て浦三郎が歯科医となった。抑斎(1877年没、64歳)は士分になることを好まず、北条に陣屋を置いた岡山藩や近江三上藩からの侍医の誘いを断り、長崎に遊学した三男恭斎を三上藩北条陣屋へ出仕させている。また抑斎は蘭方医学を学んだが、蘭方と漢方は補い合うことが大切として、長男静斎には漢方を学ばせた。

 漢詩人としても知られた抑斎は、近隣の高木芳斎・上野隆卿などの医師や長須賀村の名主池田琴嶺等と活動し、来遊する江戸の文人たちとも交流した。肖像画のために用意された讃には、抑斎は「胸に詩書あり(心のうちにある詩文で学んだ徳と)、嚢に仙丹あり(袋の中にある妙薬で)、もって病者を起こす(病人を治す)」人とある。

130.高木抑斎肖像画(安政4年) 
高木岑生氏蔵
131.薬代請取証  
当館蔵
高井薬師堂(館山市)の高木抑斎墓碑