コレラの予防 

表紙

 不衛生な生活環境のなかで、病原菌に汚染された水や食べ物を原因としてコレラの大流行が引き起こされるようになったが、根本的な治療方法もないため罹患者は十分な手当てをうけられずに多くの死者が出た。明治10年(1877年)のコレラ流行で虎列刺病予防法心得が通達され、12年の流行のあとは伝染病予防規則が公布されて政府による本格的な伝染病対策がはじまった。消毒・遮断・隔離を中心とした予防策で、医師や警察官がその対処にあたったが、彼らが暴行を受けることもあった。

157.コレラ予防方法点検心得(明治11年)  
茂名区蔵

左:布良の神田町墓地にある左右田豊巡査の碑(明治12年)(平成11年再建) 
右:出身地大多喜の夷隅神社にある左右田豊の碑(明治15年)
 死者10万人という全国的なコレラの流行があった明治12年、7月から9月には安房各地でもコレラが発生し北条警察署が防疫にあたった。元大多喜藩士で北条警察署巡査の左右田豊は布良村(館山市)でその活動中に感染し殉職している。殉職地と出身地にそれぞれ碑が建てられている。