2.忍{おし}藩

表紙

 白河藩が警備を解任されたあとは、幕府代官森覚蔵(のち羽倉外記・篠田藤四郎)が台場を引き継ぎ、警備体制の再々編があった天保13年(1842年)に武蔵忍藩(埼玉県行田市)が房総の警備を一手に引き受けることになりました。所領は安房国3郡上総国2郡で2万7千石131か村、翌年加増されて合計6万3千石余238か村を支配し、富津・竹ヶ岡の陣屋に900名を超える人員が配置されました。弘化4年(1847年)に会津藩が房総の警備に加わり体制が強化されると、富津・竹ヶ岡を会津藩へ引継ぎ、忍藩は新たに北条へ陣屋を築き、大房岬に台場を新設、その後も房総半島先端部で台場を建造していき、ペリーが来航した嘉永6年(1853年)まで12年間警備を担いました。

忍藩陣鐘

天保13年(1842年)

北条鶴ケ谷御陣屋詰名面控 鶴谷御陣屋御姓名付(右)