(2)館山城の姿 

表紙

 城下町の中心となった館山城は、そもそも現在公園になっている城山という丘陵だけでしたが、義康が本城としてからは拡張工事が進められ、城濠は城山の東にある天王山と御霊山を取り込む形で巡らされているので、イメージ以上に広い範囲の城です。

 城山公園駐車場の発掘で水堀が確認されており、そこから東へ延びたところに小字「新堀」があり、平成の初めまでは、そこから南へ向かって堀の姿を髣髴{ほうふつ}とさせる水田がありました。その北側が町場になっています。

 水田の南端に天王山・御霊山があり、その中腹をめぐる堀跡は今も残されています。さらに南の大膳山まで堀の姿を残した水田が昭和の末まではありました。

 この堀の内側の平坦地には、「(一門衆の頭(かしら)である正木)大膳屋敷」「(大家老の山本)清七屋敷」「(寺社奉行の)遠藤(印東)采女{うねめ}の屋敷」「大蔵蔵人{くろうど}の屋敷」などの呼び名が伝承されていたので、重臣の屋敷が集まっていたと思われます。堀の外側の宇和宿{うわじゅく}から御園{みその}には武家地の伝承が残され、また寺社地も現在以上に数多く配されていました。

37.里見義頼書状(上野文書)
40.城山周辺航空写真