6.明治を迎えて  

 明治2年(1869年)6月、版籍奉還が行われ、稲葉正善は新政府によって館山藩知事に任命されました。これまでの館山陣屋が藩庁とされ、同年11月には職員令を定めました。しかし明治4年7月、新政府は廃藩置県を断行し、館山藩は廃藩となり、正善も免職されました。天明元年(1781年)の立藩以降、5代90年続いた館山藩の歴史はここに幕を閉じたのです。
 全国の旧藩知事は華族身分を保障されて東京へ集められ、正善も同年9月に東京へ移り、上屋敷であった浜町の屋敷で暮らします。一方、先代の正巳は館山での就農を願いましたが叶わず、東京の亀戸に土地を借りて居住しました。廃藩置県により、旧館山藩領は館山県となりましたが、4か月後の11月には上総・安房両国の全県が統合され、木更津県が発足しました。
 館山に残った旧藩士やその子孫たちは、その後もさまざまな活動をしています。藩の画学教授をしていた川名楽山は、神職に転身し、明治5年に安房神社の権祢宜{ごんねぎ}に任じられています。制作活動にも精力的に取り組み、明治17年には弟子の木村雲山・松下翠幹とともに第2回内国絵画共進会に出品しています。木村雲山の父 茂と松下翠幹の父 綱挙{つなしげ}はともに旧藩士でした。また、俳人としても活躍した鈴木謙助の子 義章は、自らも藩士として勤務しており、廃藩後は小学校で教師をしています。彼らは藩士としての務めを終えた後も、地域を支える人材として活躍しました。
73.安房神社権祢宜任命状(川名家文書)
明治5年(1872年) 当館蔵
78.館山学校寄付金褒状(鈴木家文書)
明治10年(1877年) 当館蔵
81.稲葉正善揮毫額
「徳不孤」
明治23年(1890年)
館山市立館山小学校蔵