【5】変わっていく町  

表紙

 税制の変革で土地所有の意識が生まれると、館山でも土地を手放して他地域へ出る人や、土地を集積して地主層として政治的な力を持つ人が生まれました。交通インフラが整備され、汽船が東京都の距離を縮めると、館山を保養地・避暑避寒地として訪れる人々が増え、館山でも観光地としての意識が芽生えていきました。そして新しい産業の創出や改革は、近代資本による漁業会社や各種工場の進出をもたらし、町の拡大と人口の集中による近代的商店街の形成へとつながっていきました。

 明治10年代の後半から20年代になると、汽船による東京からの避暑客や館山湾岸に別荘をもつ人々が現れ、同30年代に海水浴場として学生が館山湾を利用するようになると、夏の海水浴を楽しむ旅行者も増え、それを当て込んだ旅館の営業や旅行案内書の発行が増えていきました。大正時代になると町が海水浴場の整備やサービスに予算を組むようになり、大正8年(1919年)の安房北条駅(館山駅)開業で鉄道による旅行者が急増します。駅の開業はその周辺への商店の移転をともない、町が拡大するとともに中心街も移っていきました。関東大震災後は観光地として宣伝することで、旅行者を館山へ呼び込みながら覆工を遂げていったのです。

124.房州鏡ヶ浦全景絵図
大正4年(1915年) 館山市図書館蔵
128.北条館山市街図
大正11年(1922年) 当館蔵
132.会場全景<絵葉書>
大正12年(1923年)