5.楽山とその周辺 

表紙

 本格的な画業への取組みと共に、楽山は松下雄之輔(号翠幹)、木村貞吉(号雲山)らの弟子に狩野派の技法を教授し始めた。明治17年(1884年)年の第二回内国絵画共進会には、師匠楽山と共に松下翠幹・木村雲山も出品している。木村雲山の作品は館山市内で2点(図版72・73)確認できた。また鈴木寿山の楽山作品模写図2点(図版75・76)があり、楽山とのつながりが考えられる。その他川名明信の作品(図版69・70・71)があるが、この明信の特定はできなかった。ところで楽山の作品には、師匠北川武八の「等楫」や養子孝雄の「耕雲」などの他人の印章を用いているものが目立つ。また楽山は、「坦斎」「明信」の落款・印章を多用しているが、川名明信画「加藤清正図」(図版69)に「大慧」という印象があることから、ここでは楽山の叔父で、保田昌龍寺14世であった大慧(蔵海)が明信である可能性を指摘しておく。