【3】駿河田中藩の仰岳 1.藩校日知館と仰岳 

表紙

 江戸時代の後期は、幕藩体制がゆるぎをみせはじめた時期だが、一方で化政文化に代表されるような学芸分野が著しい発展を見せた時期でもある。田中藩でも寛政期頃から藩を挙げての文武奨励の気運が高まり、藩主正意はまず、他藩から優れた文学者・武芸者を招いて師範役に据えた。続いて、有能な藩士を育成するために江戸留学の道を開いたり、武術の免許を得た者には長男でなくても新たに家を興すことが出来るようにするなど、文武を修めた者に特別に良い待遇を与えた。文政12年(1829年)に正意の後をうけた11代藩主正寛は、さらに藩内の諸政一新を図り、本格的な藩政改革に着手した。藩士教育はその主要な柱であり、改革の成果の一つとして、天保8年(1837年)藩校日知館が開設されたのである。

 日知館における教育の最大の特徴は、各種武術の振興にあった。開設当時の武術師範は、兵学、弓術、剣術、馬術、砲術、槍術、柔術の各分野に及び、天下の三公子とも称された博学の12代藩主正訥の頃には、さらに多くの流派が取り入れられるようになった。正訥は、万延元年(1860年)、江戸藩邸の敷地内にも江戸日知館を開設し、当時優れた儒学者として知られていた芳野金陵を漢学師範に迎えている。

 さて、仰岳が江戸留学を終えて帰還した天保4年(1833年)は、まさにその日知館開設に向けての準備が進められていた時であった。天保5年(1834年)の記録のなかには、学文所世話役と兵学師として仰岳の名が記されている。また「田中亀城之図」(藤枝市大慶寺蔵)を見ると、仰岳の住まいは日知館のすぐ隣にあり、同じ並びに藩校の師範邸があることがわかる。

113.田中亀城之図(部分)
119.天保午六月被仰出写(学文所新築二付)
藤枝市郷土博物館蔵