(3)地域の人々との交流 

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 通房は公家育ちであり、かつ天皇にも近侍したことから、当然のことながら充分な教育と文化的素養とを身につけていたであろうし、中央の文化人との交流もあっただろう。和歌においては歌人佐佐木信綱の批正を受けていたというが、そのほかの交友については不明である。

 安房においてはさまざまな人々と交流した。それは郡内各界の名士はもちろんだが、出入りの職人や一般農会員などとも気さくに付き合っていた。そうした人々との交流の話には通房の人柄を伝えるものも多く、北条から離れた家には気やすく泊まりがけで出かけたり、野菜を作りすぎると自分で知人に配ってまわったという話もある。通房をよく知る人は尊敬をこめて「トノサマ」とよんだというが、町の人々は気楽に「マデサン」と呼んでいたところにもその人柄をみることができる。また知識や技術ばかりでなく、通房との交友から人格的にその感化を受けた人も多い。以下通房の遺墨などから交流のあった人々とそのエピソードを伝えよう。