高山恒三郎

表紙

 北条町六軒町(館山市)の草分けの一軒、屋号デーミドン。北条の万里小路家の家令だったという。徴兵により明治33年・34年の北清事変に従軍、さらに日露戦争にも従軍して、通房から凱旋記念として和歌と盃をもらっている。知り合いから通房の揮毫を頼まれたり、大正2年の町長就任のときなども町当局から取り成しの依頼を受けている。昭和50年没、95歳。また先代恒三郎(可笑)は郡農会員で、通房とも早くから親しかったらしく、可笑が丹精する菊が珍しい咲き方をしたことから、明治26年に通房のはからいでそれを明治天皇の天覧に供したことがある。菊の大輪の中からさらに数本の花が咲いた貫生花で、侍従長徳大寺実則から通房にあてた書簡が残されている。昭和2年没、83歳。

左:24.『愛鞠雅帖』
右:86.貫生花図

85.通房宛侍従長徳大寺実則書簡(明治26年)

左:75.北清事変凱旋紀念盃(明治35年)
右:77.高山恒三郎除隊紀念盃(明治36年頃)

32.「不貪為宝といふを」
1.「進徳脩業」(明治29年)