【1】刀匠石井昭房 1.昌次少年の夢 

表紙

 刀匠・石井昭房は本名を石井昌次といい、明治42年(1909年)10月3日、旧館野村安布里(現在の館山市安布里)に、石井善次郎の次男として出生しました。子供の頃から、鍛冶{かじ}屋の真似が大好きで、太い釘のようなものを焼いては小刀などを作って遊んでいたといいます。

 山本尋常高等小学校(現在の館野小学校)を大正13年に卒業すると、山本地区にあった鍛冶屋の鶴岡豊広のところへ年季奉公にあがりました。新入りでしたので兄弟子たちの鍛冶仕事の先手{さきて}といって、向槌{むこうづち}をふるう力仕事がその役目だったといいます。昭和4年までの6年間、きつい年季を務め上げ、お礼奉公をさらに1年済ませると、昭和5年親方の元を辞し、東京で鍛冶仕事をしていた義兄や弟のもとで改めて鍛冶修行をすることにしました。

 そこで、たまたま出入りの刀剣商に自己流で造った短刀をみせたところたいそう誉められ、それが人生の転機となるのです。その刀剣商の口から衆議院議員栗原彦三郎(昭秀)が日本刀鍛錬伝習所を赤坂に開設したことを知った昌次は、本物の刀匠になろうと決意し、刀剣商の人に伝習所に連れて行ってもらい、入門を一所懸命に頼みましたが許されませんでした。

 あきらめずに今度は一人で訪問し、どうしても弟子に加えてほしいと熱心にお願いしたところ漸く内弟子にしてもらえました。

 こうして少年時代からの夢がかない、昭和10年1月1日より伝習所に入門、師昭秀から刀匠名を昭房と与えられたのでした。

鍛冶装束の石井昭房刀匠

栗原昭秀(彦三郎)

 栗原昭秀(1879年~1954年)は、栃木県安蘇郡閑馬村(現田沼町)に生まれ、田中正造に私淑し、政治を志す。昭和3年から衆議院議員に3期連続当選、昭和8年(1933年)赤坂区氷川町の自邸に日本刀鍛錬伝習所を開き、多くの刀匠を育成する。