伝習所(3)

表紙

 昭秀の日本刀鍛錬伝習所は意欲ある者に門戸を開く方針でしたから、わが国古来の鍛刀伝統技術を学ぼうとする若者が全国から集まりました。また外国からの見学者も訪れています昭秀は1000人の刀匠を育てると豪語したそうですが、笠間師範が辞めた後、200人近い門下の中で、いつしか秋元昭友、今野昭宗と並んで、昭房は伝習所の三羽烏とも称せられる地位を確立します。

 戦時中は師昭秀の片腕として数度の軍刀修理団に加わり、大陸に派遣されます。そこでは将兵の軍刀を修理するだけではなく、天津{てんしん}神社や上海神社に奉納される太刀を師とともに現地で鍛刀したといいます。

歌集『あら木のまま』
     栗原彦三郎著

伝習所の三羽烏
 前列左から2人目が栗原昭秀、その隣が笠間繁継。後列左から石井昭房、今野昭宗、秋元昭友。

大隈父子の来訪
 栗原昭秀はかつて大隈重信のもとにいた。写真は伝習所を訪れた大隈信常・信幸父子を囲んで、前列右端栗原昭秀。後列左より3人目石井昭房、今野昭宗、秋元昭友。

外国人女性の見学者
 昭和12年4月、日本文化連盟主催の見学会。ポルトガルの画家ブルンネルら外国人女性の一行。前列右から2人目が昭房。

昭和の御番鍛冶
 各地の刀匠やその門下も伝習所にやって来た。中段右端が昭房。