伝習所(4)

表紙

 昭房が帰国すると伝習所は秋元昭友が独立し、今野昭宗も軍刀修理団に行くため、昭房が伝習所を支えることになります。師範役として師匠に成り代わり多くの弟子の鍛刀指導にあたります。このとき、石井昭房が育成した弟弟子{おとうとでし}には後日人間国宝(重要無形文化財)に指定され、わが国刀剣界を担う宮入昭平などの刀匠たちがおりました。

軍刀修理団

栗原昭秀揮毫「鍛刀報國」扁額

 昭秀は、当初軍刀を造る事を嫌ったそうである。そのため考えを異にする笠間繁継と袂を分かつこととなる。この額は昭秀が軍刀修理団の労をねぎらい昭房に与えたもの。

伝習所を担う二人
 秋元昭友の独立後は昭房(前)と今野昭宗(後)が師範役として伝習所を支えた。

軍刀修理団第9班
 病気静養中の昭秀に出発の挨拶に来た第9班員。後列は留守部隊。左より4人目石井昭房、松本千郎、若林昭寿、宮入昭平