水岡 {みずおか}  

表紙

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 江戸時代には南片岡村・北片岡村・清水村の3か村に分かれており、明治8年の合併のとき各村名の一字をとって水岡の地名ができました。奈良の平城宮跡から出土した木簡には「上総国阿波郡片岡里」と書かれたものがあります。横穴古墳群や五輪塔を陽刻したヤグラ群もみられ、古くから豪族の拠点になっていた地域と考えられます。江戸時代初期の里見氏治政下では、南片岡村は村高164石余で廿人衆中村十郎右衛門の知行、北片岡村は176石余で足軽小頭の請西善右衛門、百人衆諏訪又三郎などが知行し、清水村は125石余で江戸時代を通して本織の延命寺領でした。明治元年にはそれぞれ171石余、215石余、125石余。神社は日森神社、片岡神社、天満神社、寺院は地蔵堂、紫雲寺、蓮蔵寺と薬師堂があります。地蔵堂には鎌倉時代、蓮蔵寺には南北朝時代の仏像が伝えられています。また江戸時代後期には清水村から清水豊明・高見桂蔵などの算学者が出て、近隣の多くの門人を育てました。