安東 {あんどう}  

表紙

尾白{オジロ} 長町{ナガマチ} 岩川{イワカワ} 下ノ坪{シモノツボ} 渡戸{ワタド} 洞田{ボラダ} 北鴻ヶ巣{キタコウガス} 南鴻ヶ巣{ミナミコウガス} 壱町田{イッチョウダ} 小網{コアミ} 高田{タカダ}


 安東の地名は安房国安房郡の東部に位置することに由来するといわれ、南北朝時代から安東郷の地名が確認できます。文和2年の足利尊氏下文には安東郷鴻栖村が得行四郎入道から佐々木長網の所領に変わったことがみられます。鴻栖村は現在の字北鴻ヶ巣・南鴻ヶ巣の集落部と考えられますが、近くの千手院には南北朝期のヤグラや宝篋印塔、文和2年の石仏などがあり、当地周辺は中世の豪族安東氏の本拠地ではないかと考えられています。天正19年には安東の一部が大井の手力雄神社に与えられています。江戸時代初期の里見氏治政下では、里見氏の直接の支配地で村高は371石余。明治元年には449石余になっています。神社は熊野神社、寺院は高田寺、千手院と室町時代の木造薬師如来坐像を本尊とする薬師堂があります。高田寺は里見家の高田姫の開基とされ、背後の山腹には蛇骨やぐらと呼ばれるヤグラ群がみられます。明治14年には九重小学校の前身安東学校が開校しています。