宮城・笠名・大賀  

かつては沖ノ島・高ノ島を眼前にした名勝として知られ、昭和になってからは軍事施設が建設されて景観が一変した地域。古代の遺跡から近代の戦跡まで、様々な時代の歴史を探訪しよう。

宮城{みやぎ}エリア

(1) 赤山地下壕跡

 高ノ島との間を埋め立てて昭和5年(1930年)に開設した館山海軍航空隊が、太平洋戦争中の防空壕としてつくった施設。全長1.6kmにおよぶ大きな壕で、航空隊の主要部門がこの壕に入る予定だった。治療施設や発電所が備えられていた。

(2) 頼忠寺

 里見忠義の家老だった堀江能登守頼忠が開基した寺で、曹洞宗。頼忠は里見忠義に従って倉吉に赴き、3年後の元和3年(1617年)に没して倉吉の大岳院に墓が建てられている。頼忠寺にも供養塔があるが、そばに古い宝篋印塔の石がある。本堂には頼忠の木像も祀られている。墓地に嘉永元年(1848年)の三山碑がみられ、旧山門付近にあるナギの大木は安房郡内で確認されているなかでもっとも大きいもの。

(3) 熊野神社

 宮城の鎮守。境内には、幕末の名主で明治初期には戸長を勤め、地租改正に尽力した宮木久左衛門の碑や、上総大堀で海苔養殖を学び、明治時代に宮城の産業に育てあげた蛯原久五郎の碑がある。また境内に奉納されている向拝の彫刻や鳥居・狛犬・手水石などはすべて明治44年(1911年)のもので、この年に丘陵部から現在地に移転したという。境内右手の高台には浅間様が祀られている。

(4) 宮城掩体壕{えんたいごう}跡

 館山海軍航空隊・洲ノ埼海軍航空隊の航空機格納庫としてつくられた施設で、宮城から香にかけて40個ほどあったといわれている。はっきりと残されているのは、ここと香地区の浅間山下だけである。

(5) 薬師堂跡

 頼忠寺持ちの薬師堂があった。宮城村の名主家の墓地には、室町時代から戦国時代にかけての宝篋印塔・五輪塔の一部がある。

笠名{かさな}エリア

(6) 洲ノ空射撃場跡

 笠名から大賀にかけての原に、昭和18年(1943年)、航空兵器の整備訓練機関として洲ノ埼海軍航空隊(洲ノ空)が開設された。ここはその施設のひとつで、戦闘機の機銃調整の試射を行なった全国的にも珍しい施設である。正面にある5基の壕の内部に砂を盛って斜面とし、標的にしたもので、壕周囲のレンガ面には機銃痕が残っている。

(7) 天神山

 かつて天神宮が祀られていたが、洲ノ空開設によって神明神社に合祀された。この山には洲ノ空で利用した防空壕があるが、洲ノ空の指令部が使用する予定だったという。山の東側には昭和16年7月30日設置の東京湾要塞第一区地帯標があり、山の南側にはコンクリートで覆われた半地下式の防空壕も残されている。なお館山海上技術学校の正門横に洲ノ空の記念碑が建てられている。

(8) 神明神社

 笠名の鎮守。境内に31貫・38貫・28貫と刻んだ力石がある。隣に真言宗の長泉寺がある。

(9) 安楽寺

 浄土宗の寺。江戸時代前期の1680年代に笠名村の領主石川八十郎が念仏道場として創建した。境内に天保3年(1832年)の出羽三山碑、宝暦4年(1754年)と宝暦13年(1763年)の日本廻国供養塔がある。参道にある大きな石のお地蔵様は、念仏講が享保14年(1729年)に寄進して建てたもの。

大賀{おおか}エリア

(10) 天王山横穴墓

 かつてこの上に天王様を祀っていた。洲ノ空開設によって積蔵院の北側に移されたが、今も天王講が続けられている。岩山の北面に洲ノ空の防空壕に使われた壕があるが、古墳時代の横穴墓を再利用して広げたものである。

(11) 御滝神社

 大賀の鎮守。宝篋印塔と五輪塔を重ねた石蔵様{セキゾウサン}と呼ばれる塔が祀られている。里見の侍が遭難して建てられたと伝えられていたが、洲ノ空の開設によって大賀の原の中からここへ移されてきた。ほかに念仏講が寄進した万治2年(1659年)の山王大権現、享保12年(1727年)の庚申塔が祀られているほか、天保9年(1838年)の手水石がある。境内のタブノキも大きなもの。

(12) 積蔵院{しゃくぞういん}

 真言宗の寺。江戸時代の後期に寺子屋を開いていた住職祐敝の筆子塚がある。天保10年(1839年)に没し、弟子たちによって建てられた。県道沿いには天明2年(1782年)の出羽三山碑、文化6年(1809年)の西国・坂東・秩父百観音巡礼塔があるほか、境内にも文政12年(1829年)の百観音巡礼塔がある。

(13) 従軍慰安婦の碑

 かにた婦人の村に入所していた元従軍慰安婦の意思により、深津牧師が敷地内の山頂に昭和60年に建設した。また同敷地内には洲ノ空中島分隊が昭和19年8月に建設した戦闘指揮所の壕もある。


監修 館山市立博物館