里見氏ゆかりの地  

ゆかりの地ご案内

(1)白浜城跡(白浜町白浜)

 里見氏が安房で最初に城にしたところだっていわれている。山に登ってみると段々に造られた平坦面がたくさんあり、東西1kmにわたって大規模な造作がされている。

(2)千田城跡(館山市西長田)

 ここも里見氏が初め頃に城にしていたらしい。城としての造作規模はたいしたことないが、堀切の道がある。中段に立派な五輪塔もまとまってある。

(3)鶴谷八幡宮(館山市八幡)

 安房国の神々が集まっている神社。八幡様は源氏の氏神。里見氏は代々この神社の修理事業を行なうことになっていた。今の本殿にもその頃の材料が使われている。

(4)稲村城跡(館山市稲)

 里見氏が安房平定をした頃の城。安房の中心部をおさえている。ここで義豊は1533年に叔父実堯を誅殺するものの、その子義堯に城を追われた。土塁・堀切が残る。

(5)玉龍院(館山市稲)

 稲村城のすぐ西側にある臨済宗の寺。里見義豊が開いた寺だという。里見義頼もここの薬師様に祈願して目の病気を治したらしい。

(6)南条城跡(館山市南条)

 里見義豊の妻の父烏山左近大夫が居城にしていた。義豊滅亡の時、妻がここで自害したといい、城跡の北側に姫塚と呼ばれる場所があって、その埋葬地だとされる。

(7)福生寺(館山市古茂口)

 南条城の東端にある曹洞宗の寺。房州石の崩れかけた大きな五輪塔がある。これも里見義豊の奥方の墓だという。里見氏からは2石の寺領を寄進されていた。

(8)犬掛古戦場(富山町犬掛)

 上総に追われていた義豊が、1534年4月6日に反撃のため安房へ進入、義堯の軍勢と犬掛の地で戦闘となった。義豊はこの戦いで敗死。近くに義通・義豊の墓がある。

(9)龍喜寺(三芳村上滝田)

 滝田城のすぐ東側の高月集落にある曹洞宗の寺。義通の開基とされ、初めは義通の法号から天笑院といい、その後義豊の法号の高厳院と変え、のち龍喜寺になった。

(10)杖珠院(白浜町白浜)

 白浜城の東にある曹洞宗の寺。義実・成義・義通・義豊など、里見氏嫡流の菩提寺で、江戸時代に建てた初代義実の供養塔や義実以下4代の木像がある。寺領20石。

(11)滝田城跡(三芳村上滝田)

 上総から安房国府へ向う古代からの官道をおさえる位置にある城。義豊の家臣一色九郎が在城していたという。犬掛の南にあり北からの攻撃に備えた造作がしてある。

(12)宮本城跡(富浦町大津)

 滝田城からは2kmの尾根続きで、北からの攻撃に備えたきわめて大規模な造作がしてある。里見義堯が一時在城していたこともある。

(13)石堂寺(丸山町石堂)

 16世紀前半に建築された諸堂が建ち並ぶ天台宗の寺。丸氏を中心に信仰されるが、多宝塔は1545年に義堯が滅ぼした義豊らの供養のために建立したと考えられている。

(14)妙本寺(鋸南町吉浜)

 義堯のブレーンの一人日我が住職をしていた日蓮宗の寺。古くから流通の拠点になった湊があり、寺が陣所にもなって、たびたび戦の場となった。

(15)高田寺(館山市安東)

 曹洞宗の寺で、里見家の高田姫が開いたといわれる。寺の奥には姫の墓という五輪塔がある。近くの二子地区安養寺には、姫の双子の子供を祀るという塚がある。

(16)源慶院(館山市安布里)

 曹洞宗の寺で、里見義弘の娘佐与姫が開いた寺だといわれる。姫は天正7年(1579年)に没し、ここに葬られた。慶長年間には里見氏から25石を寄進されていた。

(17)泉慶院(館山市上真倉)

 義弘の妻青岳尼が、義弘の嫡子梅王丸(淳泰和向)を開山にして開いた曹洞宗の寺だという。慶長年間には、里見氏から160石の寺領を寄進されていた。

(18)興禅寺(富浦町原岡)

 岡本城の東にある臨済宗の寺。ここも青岳尼が開いた。鎌倉太平寺の住職だった青岳尼は、義弘が鎌倉へきたとき。寺を捨てて一緒に安房へきて義弘の妻になった人。

(19)瑞龍院(館山市畑)

 義弘が開いたという曹洞宗の寺。瑞龍院は義弘の法号で、木像が祀られていたが、今は頭部だけが残されている。義弘の墓と伝える宝篋印塔があるが、別人のもの。

(20)岡本城跡(富浦町原岡)

 里見義頼が居城にしたところ。もともと水軍の拠点で、北条氏の安房侵攻の防御の城。中段から下に居館があったらしく、掘立の高層建築跡が発掘されている。

(21)光厳寺(富浦町青木)

 岡本城の東にある曹洞宗の寺。天正15年(1587年)に没した義頼の菩提寺。慶長年間には里見氏から60石の寺領が寄進されていた。宝篋印塔形式の義頼の墓がある。

(22)館山城跡(館山市館山)

 天正18年(1590年)に里見義康が本城にして、忠義が慶長19年(1614年)に滅亡するまでの城。高之島の湊を中心に城下町を整備したのが、今の館山市の起源。

(23)御霊山(館山市上真倉)

 館山城を構成する城の一部。天王山やなくなった大膳山とともに、物見の役割があったらしい。山の南から東を回って北側まで、今も空掘が残っている。

(24)慈恩院(館山市上真倉)

 館山城の東にある曹洞宗の寺。慶長8年(1603年)に没した義康の菩提寺。もとは義康の持仏堂だった。里見氏が寄進した寺領は15石。義康の朱印状が伝わる。

(25)長安寺(鴨川市宮山)

 正木時茂の娘で義頼の妻になった女性が開いたという曹洞宗の寺。慶長年間に御隠居様として絶大な力があった人。本堂左手奥に墓があり、堂内に木像が安置される。

(26)大巌院(館山市大網)

 慶長8年に来房中の雄誉上人を開山に、義康が開いた浄土宗の寺。里見氏からは32石の寺領が寄進されていた。のち雄誉は倉吉に配流になっていた忠義を訪ねている。

(27)延命寺(三芳村本織)

 実堯以後の里見氏歴代の菩提寺になっている曹洞宗の寺。里見氏の墓として多くの五輪塔や宝篋印塔が並び、里見氏の古文書など寺宝が多く伝来する。寺領218石。


平成8年6月 館山市立博物館作成