初代後藤義光の彫刻を訪ねて 3.(鴨川・鋸南・富山編)  

後藤義光その3 義光と後藤一門

文化12年(1815年)生~明治35年(1902年)没

南房総市千倉町で生まれた「後藤利兵衛 橘 義光{ごとうりへえたちばなのよしみつ}」は安房の代表的な宮彫り師で、安房地方の寺社や各地の山車・神輿に多くの作品を残している。ここでは、波の伊八の作品が数多く残る鴨川市、長狭街道を西に向かった鋸南{きょなん}町、南房総市富山地区(旧富山町)に残された作品を取り上げた。

義光は数多くの作品を残しながら弟子の育成にも心を砕き、一門からは多くの腕の良い彫り物師を輩出した。二代目義光となる長男の紋治郎、次男の福太郎義道や、後藤一門の四天王と呼ばれた門人の後藤兵三・利三郎義久・庄三郎忠明・喜三郎義信らがおり、その作品は上総方面にまで残されている。義光の名は三代まで継承され、その技術は昭和になっても三代義光の弟松太郎義孝や、一門の義房・義徳などに受け継がれた。直系は五代まで続き、さらに弟子によって後藤流が引き継がれている。

鴨川市には、初代義光と紋治郎との合作(上小原の白滝不動堂向拝・太田学の成就院清龍堂向拝)や紋治郎による遠本寺向拝彫刻が残され、晩年は共同で仕事をした様子がうかがえる。なお、長狭街道沿いに位置する鋸南町小保田の安岡神社の向拝には義光の師である後藤三次郎恒俊の作品が残されている。

 

(1)真門{まかど}観音

鴨川市江見西真門

十一面観世音菩薩を祀る小さなお堂の向拝{ごはい}に肉厚な龍を残す。獅子は火炎に振り向いた姿である。「安房国彫工 後藤利兵衛 橘義光」と刻銘があるが年代は刻まれていない。

(2)白幡神社

鴨川市貝渚3102

祭神は日本武尊{やまとたけるのみこと}。平安時代初期の弘仁{こうにん}2年(811年)正月の創建と伝えられる。創建当時は海に近い新兵の地に建てられていたという。治承{じしょう}4年(1180年)に伊豆で挙兵した源頼朝が平家打倒と源家再興を祈願し、白幡を納めたことから白幡大明神と称されるようになったといい、現在は白幡神社と呼ばれている。弘治元年(1555年)に新兵に再建され、宝暦10年(1760年)に現在地に大造営し、安永9年(1780年)6月に本殿の改修が行われた。その際の彫物師として武志伊八郎信由(波の伊八)の名が見える。

向拝正面の彫刻は初代義光の作品である。龍は神社を守護するがごとく厳しく右側をむき、天をにらんで周囲を威圧している。左右には獅子が彫られている。なお、白幡神社では「湯立{ゆだて}神事」が1月19日に行われている。

(3)熊野神社

鴨川市横渚554

祭神は伊邪那岐命{いざなぎのみこと}・速玉男命{はやたまおのみこと}・泉津事解男命{よもつことさかおのみこと}の三神。通称「権現様」と呼ばれている。南北朝時代の貞和{じょうわ}4年(1348年)に紀伊国(和歌山県)の熊野三山から祭神の勧請を受け、長狭郡一の宮総社権現と称した。永禄年中(1558年~1570年)に里見義弘夫人の祈願所となり、神領30石が寄進され、徳川幕府により里見忠義が改易させられると、元和元年(1615年)本社の神領もことごとく収没されたという。寛永19年(1642年)以来、明治維新に至るまで熊野三社大権現と称した。大正12年(1923年)9月1日関東大震災ため拝殿が倒壊し、昭和2年(1927年)頃に改築した。

拝殿向拝の龍は顔を左にむけ牙をむき出している。初代義光の作品である。向拝の懸魚{けぎょ}には三代義光による鳳凰が大きく羽根を広げ、龍と同じく左を向き同じ敵を鋭く見つめているようである。本殿向拝にも見事な彫刻があるが銘はなく作者不明である。

(4)飛梅山龍性院{りゅうしょういん}

鴨川市広場883-1

真言宗のお寺で本尊は大日如来。創建年代は不明。かつでは福性院と言われていたが、明治3年(1870年)、不動山龍性院に併合されて龍性院と改めた。山号の飛梅山は源頼朝がここに立ち寄り梅の枝を刺して吉報を待ったことに由来する。

本堂向拝に、一見似たような二体の龍が、上下に置かれている。下段は平成12年(2000年)の本堂新築時に製作された。下段の龍は慶応4年(1868年)、義光54歳の作である。工事中に一部修復された。本堂の須弥檀{しゅみだん}左の部屋には、同年の作として弟子の利三郎、庄三郎、勝次郎等と共に彫った鷹に松の欄間彫刻がある。客殿には文久3年(1863年)、義光48歳の作で木鼻の獅子や龍彫りによる鯉に波の肘木や三代義光の蟇股{かえるまた}などが保管されている。なかでも獅子の顔は克明に刻まれ、豊かな毛並みは細やかで丁寧なつくりといえる。境内の観音堂には後藤義信による龍と獅子の彫刻が残されている。

ほかに、寛保2年(1742年)に奉納された六地蔵、慶応元年(1864年)に奉納された子育地蔵(子抱き半跏像)、竜宮風の山門などがある。

(5)神明神社

鴨川市東町

祭神は天照大神。東区内の鎮守である。向拝彫刻は、波の中に羽根を広げた鶴が彫られている。銘は「後藤利兵衛橘義光」とあるが年代は刻まれていない。向拝左右の木鼻には獅子と象が刻まれている。境内には寛政9年(1797年)、氏子衆中寄進の手水鉢があり、昭和9年(1934年)には屋根替え工事、平成10年には社殿の修復工事が行われた。

(6)清水山成就院

鴨川市太田学883

真言宗智山派のお寺で本尊は不動明王。里見氏の保護をうけ、その後、江戸幕府から御朱印地10石の寺領を認められていた。12世紀~13世紀頃創建され、永正10年(1513年)に現在地に中興開山した。本堂向拝の龍は伊八作といわれるが銘がない。本堂裏の石段を登った所の通称「清龍様{せいりゅうさま}」に彫られた松と鷹に小鳥の彫刻は、明治6年(1873年)義光59歳の作。波と鯉が彫られた懸魚{けぎょ}は、二代紋治郎の作品である。昭和9年(1934年)弘法大師100年遠忌で作られた安房国88ヶ所第49番霊場。

(7)白滝山不動教会

鴨川市上小原477

真言宗で本尊は不動明王。大同3年(808年)弘法大師が自刻の不動明王を安置したと伝えられている。永正年間(1504年~1521年)に長狭郡山の城城主正木大膳{だいぜん}が白滝山滝谷寺として創建した。境内に落差 0mの白絹の滝があることから滝の不動とよばれ、一帯は霊場地として崇められた。本堂向拝の龍は明治17年(1884年)、義光70歳の作である。本堂正面の懸魚の鳳凰も義光作とされる。向拝の海老虹梁{えびこうりょう}の龍は紋治郎、明治16年(1883年)の作。本堂の周りは、鶴・獅子・小鳥・亀などの彫刻があり、篭彫り等の技法も見られる。施主は安房を中心に、上総、長生、浦賀の人もいる。客殿正面の彩色された松と小鳥の彫刻にも義光の銘がある。

(8)中谷山{ちゅうこくさん}妙本寺

鋸南町吉浜453-1

日蓮宗富士門流の本山で本尊は十界曼荼羅{じゅっかいまんだら}。日郷上人が房州保田の地頭佐々宇佐衛門尉から寺地の寄進を受け、建武2年(1335年)に開創した。戦国時代に妙本寺は数々の兵火により堂宇の大半を焼失している。現在の客殿は、元冶元年(1864年)、第37世日勧上人の時に造営した。客殿向拝の龍と蟇股{かえるまた}の龍は義光50歳の彫刻で、大六村の池田嘉兵衛らが施主となり奉納している。

力士像には「喜内伊丹敏英作」とあり、獅子鼻・しかみなどの彫刻は宮大工伊丹喜内の作。向拝の龍は親子龍で左右に力士像を控え、妻飾の飛龍が両脇を飾っている。肘木{ひじき}には波間に親子亀・虹梁{こうりょう}には波に鶴が刻まれ、鶴亀がセットで配されている。右の獅子は透かし彫りの鞠を持っているが、破損しており、左の獅子は牡丹の花を口挟んでいる。懸魚{けぎょ}には鳳凰が翼をひろげ、右の向拝柱に昇り龍・左の向拝柱には下り龍が彫られている。また、向拝天井には渡辺雲洋{うんよう}(現館山市北条の絵師)の龍の絵があり、客殿内にも川名楽山{らくさん}(現館山市沼の絵師)・鈴木夏運(京都の絵師)の天井画が墨絵・色彩画などで奉納されている。また、本堂の向拝彫刻は後藤義信の門人であり甥の後藤義房の作品である。

(9)黒石山龍燈院勝善寺{くろいしさんりゅうとういんしょうぜんじ}

南房総市二部1344

阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗(真宗大谷派)のお寺で、開創は元仁元年(1224年)とされる。明治3年(1870年)の火災後、現本堂は明治13年(1880年)に、向拝は明治35年(1902年)に再建された。義光最晩年の作とされる向拝の彫刻群は、この時のものである。また、本堂内では81態の龍を描いた格天井(川名楽山画)や浮世絵師・菱川師宣の過去帳(県指定有形文化財)も残されている。

総けやき造りの向拝正面は三区分され、中央に火炎をなびかせ威風を放つ波に龍、その左右に竹に阿吽{あうん}の虎が据えられている。梁{はり}の先端(木鼻)には巻き毛に牙・足・火炎をもつ獏{ばく}、最下部は松に鶴などが配置され、向拝正面に重みと軽快さを与えている。(龍左脇:「後藤利兵エ橘義光八十八扇作」の刻銘)

向拝柱を四本にし、その位置を基準に取り付けた四態の手挟{たばさ}み、外側左右一対の蓮の花は煩悩の世界から悟りの境地に導かれる様子を表し、内側の左右一対の龍は、右は来る者を威圧し左は華瓶{けびょう}を抱えて人を浄土世界へと誘っているようである。鱗・頭のこぶ・眼球・華瓶・蓮の花等に木目を巧みに生かした彫りは、義光のこだわりが感じられる。裏側下部の梁には、中央に大菊、左右に小菊が彫られ肘木{ひじき}には若葉彫りが施されている。


<作成 ミュージアムサポーター「絵図士」 青木悦子・青木徳雄・金久ひろみ・川崎一・鈴木正・吉村威紀>