滝口下立松原神社<白浜>  

下立松原{しもたてまつばら}神社の概要

 南房総市白浜町滝口にあります。祭神は天日鷲命{あめのひわしのみこと}。安房神社の祭神天太玉命{あめのふとだまのみこと}の弟であるとも伝えられ、安房忌部氏の祖神として、代々忌部氏の子孫が神主を務めてきています。後世いく度かの合祀がおこなわれ、現在では祭神は19柱を数えています。古墳時代から祭祀が行なわれていて、一般的には太古の時代には神は山に宿ると信じられていたので、麓に聖地(磐境{いわさか})を定め、祭壇(神籠{ひもろぎ})に神座(磐座{いわくら})を設け、祝部{はふりべ}(神主)が中心になって祭祀が行なわれていました。そうした祭祀遺跡は安房国では洲宮神社や南房総市宮下の莫越山{なこしやま}神社周辺などで確認されています。一般的に屋代{やしろ}(神社)が出現するのは9世紀初頭とされていますが、古い神社や神名を記した『延喜式{えんぎしき}』(927年完成)によると、安房国には大社2座・小社4座が記載されており、下立松原神社は小4座のひとつとして記載されています。現在の本殿は明治初頭の再建、拝殿は元禄時代に建築された本殿を移したもので、ともに入母屋造です。拝殿には16枚の絵馬が奉納されており、漁労生活とのつながりを感じさせます。8月1日に例大祭があり、9月の八幡の祭には神輿が出祭します。また旧暦11月26日から10日間行なうミカリ神事が伝わり、南房総市無形民俗文化財に指定されています。


(1) 宮下橋

 親柱に紀元2592年と記された宮下橋は、昭和7年(1932年)に架けられたもの。アーチ型のコンクリート製で、長さ7.8m、幅4.5mほどある。宮下川に架かり、橋の側面には、設計監督鈴木友吉、土木指揮福原政蔵、左官田中繁蔵の名前が記されている。

(2) 滝口の井戸

 参道入口にある滝口の井戸は、正月15日に行う筒粥{つつがゆ}神事の供え粥の白米を清めた神水である。今は生活用水として利用されているが、右奥からの清冽な湧水は昔から地域の人々に崇められている。

(3) 社名碑

 正面には「延喜勅扉 下立松原神社小鷹大明神御鎮座」とある。江戸時代までは小鷹大明神と呼ばれており、延喜勅扉の文字は朝廷が撰んだ延喜式内社という格式を誇示したものであろう。側面には「天下泰平五穀成就御祈祷神事也不可入汚穢不浄之輩」とある。

(4) 一の鳥居と記念碑

 最初の階段が北東(35段)と南東(28段)にあり、あがると高さ約5mの石造の明神鳥居がある。台石には「奉」「献」と刻まれている。鳥居の右側には高さ4mの「第壱鳥居奉納者記念碑」があり、大正7年(1918年)5月に主として地元の寄付で建立されている。川下の西条文治他4人が発起人、本郷の鈴木定治他17人が世話人。石工は小坂浅治と浅沼廣治、鳶は北条の岩崎益吉とある。

(5) 后{きさき}神社

 阿波忌部{いんべ}の祖神天日鷲命{あめのひわしのみこと}の孫由布津主命{ゆふつぬしのみこと}の后で、房総を開拓した天富命{あめのとみのみこと}の娘の飯長姫命{いいながひめのみこと}を祀った社殿である。由布津主命は天富命に従って東国開拓をした安房忌部の祖神。

(6) 日露戦役記念碑

 裏面に、長尾村滝口から明治37年、38年(1904年、1905年)の日露戦役に出征して戦死した9名と、その他の従軍者95名の氏名が刻まれている。紀元2574年11月立石とあるのは、大正3年(1914年)のこと。陸軍参謀総長大山巌の揮毫で、戦役後各地に碑が建てられた。

(7) 慰霊碑と招魂社

 大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死した滝口地区106名の慰霊碑。戦没者の霊を祀る招魂社の修理にあわせ、昭和58年(1983年)に建立された。招魂社の手水石は嘉永3年(1850年)のもので石工は儀兵衛。

(8) 石灯篭

 二の鳥居前にある嘉永2年(1849年)に建てられた灯篭。右塔の台石正面に「洋中」、左塔に「静寧」の文字があることから、海が安らかで静かなことを祈願している。側面には地元の世話人2名と石の運賃寄進者、ほか43人の奉納者の名前が彫られている。

(9) 二の鳥居

 一の鳥居から80数段あがると、高さ4,7mの神明鳥居がある。昭和54年に白浜建設の鈴木金衛が寄進しているが、台石には「御」「雲」と刻まれ、明治20年(1887年)のものである。滝口の人々が寄進しているが、砂取の器械社中や同浦漁師の刻名もある。器械社中はあわび漁などを行なう器械潜水夫たちのこと。

(10) 石灯篭

 石段下の灯篭は、享保8年(1723年)に建てられたもので、境内にある奉納物のなかでは一番古いようだ。高さは150cm余り。

(11) 狛犬

 寛政6年(1794年)6月、滝口村の若者たちが奉納した。石工は不明。鞨鼓舞{かっこまい}の獅子頭のような表情をしている。

(12) 力石

 社前にある力石は、当初5つあったという。左は天保3年(1832年)奉納で36貫目、次は30貫目(120kg)、次は40貫目、一番右は重さが刻まれていないが、最大のもの。嘉永7年(1854年)に日和丸の吉蔵が奉納した。近隣の若者たちの力比べに使われたという。

(13) 手水石

 正面には「無塵浄{むじんじょう}」とある。参拝前にここで「穢れを祓い心身を清める」という意味。左側面には地元を中心に発願主5名の名。その中に忌部氏の伝説がある布良村の人もいる。裏面には32名の世話人、右側面には石工棟梁儀兵衛・金蔵等の名と、寄進された慶応4年(1868年)の年号がある。

(14) 狛犬

 明治3年(1870年)、川下の石工山口金蔵重信が彫ったもので、神社の魔除け。本殿に向かって右の阿像は子獅子、左の吽像は玉を添える。本郷を中心に川下・砂取・大作場など滝口の人たちが奉納。上総大原の船頭八三郎等が石の運送賃をサービスしている。

(15) 壁画殿

 紀元2600年 (昭和15年)記念事業として建設された。内部には、同年に寺崎武男画伯(1883年~1967年)が奉納した当社の由緒を物語る壁画10枚が展示されている。壁画は忌部氏の一族を讃える内容で、(1)国防(2)斎部廣成{いんべのひろなり}(3)源頼朝の参篭(4)開拓(5)天日鷲命(6)由布津主命(7)飯長姫命(8)造営(9)造船(10)神狩{みかり}と題されている。なお、寺崎武男は昭和前半に館山に住み、戦後安房高の美術講師をした。

(16) 天神社{あまつかみのやしろ}

 延喜式の式内社小四座のひとつ。祭神は高皇産霊命{たかみむすびのみこと}・神皇産霊{かみむすび}命で、元の社地は滝口字天神免の観音堂あたりとされ、のちに別当寺の紫雲寺裏北西の本郷谷{やつ}に移ったといわれている。昭和12年(1937年)に現在地に遷宮された。



<作成:ふるさと講座受講生 青木悦子・井原茂幸・金久修・君塚滋堂・鈴木惠弘・御子神康夫・山井廣・吉野貞子>
監修 館山市立博物館