沓見莫越山神社<丸山>  

莫越山{なこしやま}神社の概要

 南房総市沓見({くつみ}・旧丸山町)にあります。古い神社や神名を記した『延喜式{えんぎしき}』(927年完成)に出ている安房国6座のうち小社4座のひとつとされ、祭神は手置帆負命{たおきほおいのみこと}と彦狭知命{ひこさしりのみこと}。社伝では、その昔天富命{あめのとみのみこと}が阿波の忌部{いんべ}氏を率いて安房の布良{めら}に上陸して開拓をはじめた時、これに従っていた工人の小民命{こたみのみこと}と御道命{みちのみこと}の願いにより、その祖神2柱を祀ったのが始まりとされています。この二祖神は武具(盾)・祭具・建築の工匠として知られる神です。 祭神が工匠の守護神とされることから、江戸末期に江戸を中心に相次いで結成されるようになった大工職人や建築業者の講(祖神講)の信仰を集めました。一の鳥居や社殿など祖神講の寄進によるものが多くあり、境内には祖神講碑や参拝記念碑も残っています。現在の社殿は関東大震災で倒壊後の大正15年(1926年)に新築されました。本殿・幣殿・拝殿ともに神明造りで、千木{ちぎ}・高床・切妻・板校倉{いたあぜくら}・棟持柱{むねもちばしら}などに古代神社建築の特徴をとどめています。祭事は3月1日の祈年祭・7月9日の例祭・11月23日の新嘗祭{にいなめさい}があり、9月14・15日の鶴谷八幡宮祭礼には朝夷地区から一社だけ神輿を出祭します。また神事として神酒醸造神事や猿田彦の舞が知られています。


(1) 社名碑

 明治37年(1904年)に万里小路通房{までのこうじみちふさ}が揮毫した。北条町に住んでいた明治天皇の元侍従だったお公家さんで、近代農業を指導して安房の人々と交流した人。延久2年(1070年)建立とあるのは、当社も出祭する八幡の祭礼が始まったとされる時期。

(2) 一の鳥居と (3) 記念碑

 南向きの参道一の鳥居は神明鳥居で、高さ7.2m、幅5.7m。柱の裏に、大正15年(1926年)8月に東京祖神講が建立したとある。右側にある高さ2mほどの鳥居建設記念碑には、東京の講元・世話人・寄付者等の名がある。古い鳥居の折れた柱を台にしている。

(4) 参道舗装記念碑

 一の鳥居裏左側の記念碑は、昭和45年(1970年)に地元白子の田中建設が参道の舗装工事を奉納した記念碑で、これも折れた鳥居の柱を台石にしている。震災で倒れた古い一の鳥居の柱である。

(5) 旧一の鳥居柱石と (21) 寄付記念碑

 現在の一の鳥居裏に古い鳥居の台石があり、左右に「東京」とある。柱の太さは約50cmで現在の鳥居(太さ約80cm)に比較して小ぶりである。本殿玉垣内の右隅に「浅草祖神講」による旧一の鳥居の寄付記念碑があり、明治45年(1912年)の建立とわかる。

(6) 常夜灯基台

 明治26年(1893年)に建てられ、昭和3年に改築されている。当時は少し南側の田の中にあったが、圃場整備で平成2年(1990年)11月に現在地に移築された。以前は11段約3mの石積みの基台の上に灯明台があり、夕方になると神主さんが灯を入れていたという。

(7) 二の鳥居と (8) 記念碑

 東向きの二の鳥居も神明鳥居だが一の鳥居より少し小ぶり(高さ5.3m、幅4.9m)。柱の裏銘に竹中工務店東京支店太子会が、御鎮座二千六百年記念で昭和12年(1937年)9月に奉納したとある。石段下の弐之鳥居建設記念碑には各地の建設関連会社の名がある。

(9) 石垣

 階段下の左右石垣中央に、地元沓見を中心に50人の氏名が刻まれている。文久元年(1861年)に組まれた石垣である。

(10) 石灯籠

 寛政元年(1789年)2月に地元の加瀬作右衛門が奉納した。

(11) 日露戦役記念碑

 明治37年,38年(1904年,1905年)の日露戦役従軍記念碑で、傷死・戦死・病死・死亡と刻まれた7人と、従軍した57人の氏名がある。豊田村奨兵会が明治39年に建立した。額は元帥侯爵大山巌の書である。

(12) 手水石

 自然石で造られたもので、文政8年(1825年)に大工・木挽{こびき}講中の50余名(安馬谷・瀬戸などの人々)が奉納した。

(13) 手水石と水屋建設記念碑

 明治23年(1890年)に地元の氏子など21名が発願して奉納した。石工は北条町長須賀の吉田亀吉。右の石碑は、東京千住の「工睦会」95名が、大正14年(1925年)に手水石の水屋を寄付した際のもの。

(14) 石灯籠

 昭和3年(1928年)に東京四谷の建築事務所親建会が奉納した。

(15) スダジイ

 「子育てのシイ」として信仰されている御神木。胸高幹周334cm、樹高13m、枝張り東西16m・南北16mの古木で、平成13年(2001年)8月1日に丸山町の天然記念物に指定された。

(16) 石垣

 三の鳥居下の石垣は、明治25年(1892年)4月に天羽郡金谷(富津市)の講中が奉納したという銘板がある。

(17) 社殿屋根竣功記念碑

 本殿・拝殿の屋根葺き替え(銅葺)ほか各所修復の竣功記念碑。工事費は東京講社や崇敬者が寄進した。平成元年建立。

(18) 頌徳{しょうとく}碑

 明治29年(1896年)に認可された東京府本所区大工職業組合の有志が、祭神の徳を称えるとともに、組合が明治39年以来、莫越山神社の東京遥拝所である祖神教会講社の管理を行ってきたことを称えている。大正12年(1923年)に建立。書は子爵北小路資武。

(19) 参拝記念植樹碑

 東京祖神講が当社へ参拝した記念に杉を植樹した記念碑である。昭和45年(1970年)植樹・建立。

(20) 奉納碑(2基)

 東京都大島波浮港職工組合が社殿修復等を行った記念碑で、昭和58年(1983年)と昭和63年に施工した。合わせて27名の名がある。

(22) 参拝記念碑

 東京小松川建築組合莫越山講が、昭和33年(1958年)以来の当社参拝三十周年記念して、昭和62年(1987年)に建てた木柱碑。

(23) 御祓所奉納記念参拝碑

 東京葛飾祖神会が紀元2600年(1940年)に御祓所を奉納して記念参拝した碑。碑面には特別会員8名と会員有志32名の名がある。

(24) 若宮神社再建記念碑

 若宮神社は昭和4年(1929年)9月に再建した。当社を崇敬する東京四谷大工組合祖神講の関係者によって建てられたことを伝えている。碑面には講員112名世話人6名などの名が記されている。

(25) 若宮神社

 神明造りの若宮神社は、当社を創建した小民命と御道命を祭神とする神社。別に10柱を相殿に合祀している。明治16年(1883年)9月の本殿建築の際、現在地に造立された。

(26) 社務所

 玉垣下の建物は社務所で、毎年鶴谷八幡宮に出祭する神輿も納められている。中には明治20年(1887年)挙行の莫越山神社正遷宮上棟式を描いた大きな絵馬(川名楽山画)や、建築関係の講社から奉納された多数の額がある。外に出ると、右手の妻に上棟式で使用された縁起物の破魔矢が掛けられている。

(27) 道標

 神社近くの国道128号入口に「莫越山神社入口」、410号古川上橋からの入口に「莫越山神社是より五丁」の道標がある。ともに関東大震災(1923年)で倒壊した鳥居の柱を利用したもの。また館山市稲の箱橋交差点にも、当社崇敬者講中が明治26年(1893年)に建てた莫越山神社参詣道の道標がある。



<作成:ふるさと講座受講生 青木悦子・井原茂幸・金久修・君塚滋堂・鈴木惠広・御子神康夫・山井廣・吉野貞子>
監修 館山市立博物館