白間津日枝神社<千倉>  

日枝神社の概要

(南房総市千倉町白間津335)

延喜元年(901年)、京の都から来た岩戸大納言義勝{いわとだいなごんよしかつ}創建による神社で、別当寺の円正寺も開基した。祭神は大山咋命{おおやまくいのみこと}(比叡山の守護神)。また白間津開拓の祖である田仲八軒が故国からこの神を迎えたという伝承もある。江戸時代までは寺を守護する「日枝山王{ひえさんのう}」と呼ばれていたが、明治初期の神仏分離令により「日枝神社」と社名を改称した。社殿は明治20年(1887年)に再建された。

(1)社号碑

「村社・日枝神社」とあり昭和6年6月に氏子一同が建立。石工は当区・保田平兵衛門、書は、奥村利愃。以前は国道に面した参道の入り口にあったが、境内拡張時に現在地に移転した。

(2)大鳥居と幟立{のぼりたて}

1.大鳥居

文政5年(1822年)4月に建てられた花崗岩製の明神鳥居である。海中安全を願って氏子中により奉納された。

2.幟立

天保4年(1843年)建立の幟立。「海中安全 若者中」のほか、村役人の名前や日本橋魚河岸関係の人名、町名(「安針町{あんじんちょう}」「小田原町」「本舟町{ほんふねちょう}」)なども記されている。

(3)拡張記念碑

祭事をするにあたり境内が狭いため、在京有志、区民の賛同により寄付金5百円を集めて水田80坪を購入し、排水の設備も含めて昭和10年に境内を拡張したことを記念した碑。寄金者(23軒)の屋号と氏名、35名の発起人の氏名が記されている。寄付者には「男海士一同」の記載もある。

(4)宮井戸と石宮

1.宮井戸

境内にある井戸は、枯れずの井戸とも言い、境内拡張までは個人の家の敷地内にあった。清水が枯れることなく湧き、過去には地区の飲料水として使用されていた。

2.石宮とアンゴ岩

宮井戸右後方の石宮は荒神{こうじん}様。台座はアンゴ岩といい、屋号「源兵エ」宅の横にあったが、道路拡張の際に一部を切り取りを現在地に移設したもの。

(5)儘{まま}の堰記念碑

大正12年(1923年)の関東大震災で水源が枯渇したため、昭和6年(1931年)に三田才治(後の千倉町長)らにより、儘地区に堰が作られたことを記念した碑。同じ基壇に畑地の潅水事業記念の碑もある。儘の堰において地鎮祭を行い昭和48年(1973年)に完工した。

(6)灯篭

大正12年6月に当区役員と青年会が、地元から汽船で八丈島へ飛魚漁の稼ぎに出た人々の大漁を祝い奉納したもの。

(7)築港記念碑

白間津漁港開港の記念碑。大正7年(1918年)6月に起工、大正9年5月に開港した。工事関係者24名の名前が刻まれている。

(8)手水石

奉納は弘化4年(1847年)。左側面に江戸安針町の2名、後面に世話人、願主(氏子・海士)、百姓代、組頭、別当寺(円正寺)の住職の名前が記されている。右側面に、江戸安針町の魚問屋鷲{おおとり}屋善四郎他地元船頭の名(5名)があり、当地区には今も同じ屋号の家がある。

(9)石垣と玉垣

9-1 石垣

道路脇の石垣の中に石垣修築の碑がある。大正12年(1923年)6月、青年会と天草{てんぐさ}女海士中により奉納された。発起人には青年会役員10名と女世話人2名の名が刻まれている。

9-2 玉垣

社殿右側の玉垣は、1と同じ青年会役員10名により、大正12年6月に奉納された。社殿前の玉垣は大正8年6月、八丈出漁連中(83名)により奉納された。

(10)灯篭

社殿に向かって右は文政5年(1822年)4月に「氏子」が奉納。左は文政6年(1823年)3月に「蚫{あわび}商人」が奉納。いずれも大正12年6月に当地区の田仲太郎右衛門により修繕されている。

(11)向拝{ごはい}彫刻

明治20年(1887年)の社殿再建時に初代後藤義光(73才)が制作。中備{なかぞなえ}には、「親子籠」、虹梁{こうりょう}には「波に千鳥」、向拝{ごはい}柱肘木{ひじき}には「波に鯉」「波に亀」(籠堀{かごほ}り)、木鼻{きばな}には「振向き獅子」、手挟{たばさみ}には「桐に鳳凰」「桐に麒麟」と、吉兆を表す端獣を配している。彫刻裏に義光の銘がある。

(12)社号額

社殿正面の社号額は勝海舟揮毫{きごう}によるもの。「日枝社」「勝海舟安芳{やすよし}」の署名と押印がある。「安芳」は維新後の改名。明治期に当地区を訪れた時揮毫したものと伝わる。

(13)石宮群

社殿左の石宮・灯篭群は、山肌のくぼみに奉安されている。石宮には「田仲太郎右エ門」「昭和元年」、灯篭には「当所氏子中 蚫{あわび}商人中」「寛政7年(1795年)」の銘が確認される。

(14)円正寺

岩戸山円正寺は延喜元年(901年)岩戸大納言義勝の創建で、本尊は千手観世音菩薩。江戸時代までは日枝神社の別当寺。白間津のオオマチは明治時代までは寺祭りと言われ、今も、寺の前で「寺踊り」が奉納される。

1.大日堂

祀られている大日如来像は、江戸時代に紀州で廻船問屋を営み、財を成した新藤伝右衛門が持ち帰り、白間津の海雲寺裏山の岩屋に祀った。その後、扉が朽ち新藤家の菩提寺である円正寺境内に大日堂を建て移設された。

2.三界萬霊塔

白間津沖合で遭難した人々を、行方不明者も含め慰霊した供養塔。江戸末期から明治初期、船形を中心に内房から魚を求めてやってきて海難にあった人々の名がある。海岸にあった墓石を円正寺の須田隆宣住職(後の円蔵院住職)が、明治20年に円正寺の門前に移動。その際、現在の供養塔という形にした。劣化した台座は平成14年、円正寺・海雲寺と両檀家で新しくした。

「白間津の大祭{オオマチ}」

(平成4年国指定重要無形民俗文化財)

日枝神社の祭神を「来島{くるしま}」(上陸地)より神社までお迎えした時の行列を再現したのが起源とされる。仮宮まで進む「お浜下り」、日天{にってん}、月天{げってん}を象{かたど}った大幟{おおのぼり}(神の依{よ}り代{しろ})で大勢で引く「大網渡{おおなわた}し」(神迎えと豊凶占い)、豊年万作(雨乞い他)祈願と収穫の喜びを祝う「ササラ踊り」は祭りの中心要素である。ササラ踊りは「擦{す}り簓{ささら}」を操{あやつ}り踊るもので、上方{かみがた}から伝わる田楽{でんがく}踊り、念仏踊りなどの流れを汲んでいる。大祭の中心となる日天・月天(二人の少年)は、50日間の禊{みそ}ぎ(別名 ジョゴリ)をした後、神として迎えられ、ササラ踊りの先導や仮宮に集合した神々との間の「仲立{なかだち}」役を果たしている。

(大祭は4年毎、7月下旬開催)


作成:ミュージアムサポーター「絵図士」
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